この項目では、文学・美術上の概念について説明しています。19世紀後半から20世紀のクラシック音楽については「新ロマン主義音楽」をご覧ください。
新ロマン主義(しんろまんしゅぎ、英: Neo-romanticism、独: Neoromantismus、仏: Neoromantisme)は、西洋文学史ならびに西洋美術史の長期に渡るさまざまな運動を包摂する概念。特に後期ロマン主義とほぼ同義で、ダルハウスがグスタフ・マーラーのような19世紀後半から20世紀初頭の作曲家に関して用いた用語であり、前衛的なモダニズムの意匠を拒絶ないし断念した現代の作曲家を意味した。ポルトガル、シントラのペーナ宮殿はおそらく最も重要な新ロマン主義建築の参照事例である。 新ロマン主義は自然主義の対立概念として考案された。芸術における自然主義は外部の観察を強調するのに対し、新ロマン主義は感覚や内的な観察を付言した。これらの芸術家はロマン主義時代の芸術家や、歴史的な田園風景から受ける場の感覚から着想を得る傾向がある。そして一般に機械や新都市や損得勘定にまみれた「醜い」現代世界に拒否反応を示す。特徴的なテーマは完全な愛やユートピア的な光景、荒廃から復興した自然、ロマンティックな死、歴史的な景観といったものへの憧憬である。新ロマン主義はしばしば、あまりにも偏狭であり、あまりにも比喩的な絵画や美意識へ偏向しており、あまりに直観に頼りすぎ、観念的・理論的な芸術理解に対しあまりにも懐疑的であり、そして過去や理想化された/精神的な/おどろおどろしい光景への偏愛があまりにも強すぎるとして、批判の対象となる。より説得力のある批判としては、新ロマン主義には現代世界が内包している諸悪に関する充分な概念が欠落しているというものがある。 新ロマン主義には、ナショナル・ロマンティシズムを称揚する傾向が少なからず見られる。これは特に両世界大戦後の数十年において見られた現象である。 イギリスでは、1880年ごろから1910年ごろにかけて新ロマン主義が大きく現われた。以下の諸項を参照。 1920年代には、F・L・グリッグス
19世紀後半から20世紀初頭
イギリス
1880年 - 1910年
ルイス・キャロル
ジョン・ラスキン
エドワード・エルガー
ジェラード・マンリ・ホプキンス
レイフ・ヴォーン・ウィリアムズ
アーツ・アンド・クラフツ運動の耽美主義
ウィリアム・モリス
象徴主義
ウィリアム・バトラー・イェイツ
ラドヤード・キップリング
A・E・ハウスマン (A. E. Housman
ゴシック・リヴァイヴァル建築
写真におけるピクトリアリスム
1930年 - 1955年
新ロマン主義は美術界では軽視されており、その一方で1950年代から1970年代にかけては、文化自由会議を通じて国家の奨励を受けた抽象表現主義やウォーホル的なポップアートの波がアメリカを席巻した。しかしエコロジーが広く認知されてくるにおよび、1970年代半ばから後半にかけて「大地へ帰れ」運動が湧き起こった。これにともない、 Resurgence
誌などの雑誌による紹介を通じて新ロマン主義の作品が改めて再発見・再評価されはじめた。