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新ロマン主義音楽は、19世紀後半から21世紀のクラシック音楽において見られる、ロマン主義音楽の再生、復古、擁護のいずれかを目論む音楽思想によって創り出された音楽作品を指す。 「新ロマン主義」という語は、西洋音楽史の他の時代区分と同じく、文学史ならびに美術史からの借用概念であるが、用法はそれらの場合と異なっている。西洋文学史や西洋美術史において新ロマン主義とは、後期ロマン主義(またはロマン主義)の時代から次の時代への移行期を指す。西洋音楽史においても、このような意味や文脈で「新ロマン主義」という概念を用いる例がなくもないが、後述するように、この事例については、通常は別の語を用いる。 西洋音楽史において「新ロマン主義」とは、19世紀において、フランツ・リストやリヒャルト・ワーグナーに代表される「新ドイツ楽派」とその影響下にある音楽を指す場合と、20世紀において、ロマン主義音楽がいったん終息した1920年代以降に、ロマン主義音楽の復権をもくろんだり、あるいは表面上、伝統回帰と見せかけるような創作姿勢をとることを言う場合とがある。 注意すべきは、20世紀における「新ロマン主義音楽」は、単なる現代音楽に対する保守反動とは言い切れない面もあることである。なぜなら新ロマン主義音楽を目指した人々は、戦後の欧米におけるアヴァンギャルド中心の芸術音楽のあり方、とりわけ、聴衆の存在を無視した極端な作家主義や芸術至上主義に対して、疑問を投げかけているからなのである。 19世紀後半のドイツ語圏(プロイセン王国領およびオーストリア=ハンガリー二重帝国領を含む)で主流となった、クラシック音楽の一大勢力のことを新ドイツ楽派という。そしてこの人たちの音楽家としての気質や傾向を、漠然と「新ロマン主義」と言うことがある。19世紀後半に、ベートーヴェンに対する個人崇拝が強まるとともに、ドイツとオーストリアにおける器楽曲(とりわけ交響曲)創作の停滞と衰退(実際には、そのように見えた現象)を引き合いに、評論家から音楽界の「堕落」を嘆く意見がしきりと出されるようになった。 音楽評論家としても健筆をふるったシューマン、ワーグナー、リストもこうした思想の中心人物であり、音楽史における進歩主義的発想と、音楽と文学の相互関係を力説した。こうしてワーグナーとリストを主軸として形成された勢力が、新ドイツ楽派なのである。しかし当時かれらは、ロマン主義音楽を再生させる先覚者と見なされたため、「新ロマン主義」と呼ばれていた。 ワーグナーやリストの直接の弟子から新ドイツ楽派の衣鉢を継ぐ者は、ロイプケやドレーゼケを除いてほとんど現れず、グスタフ・マーラーやリヒャルト・シュトラウス、フーゴー・ヴォルフらによって、楽派の最後の烽火が上げられた。
概要
新ドイツ楽派