新フランス評論
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新フランス評論
La Nouvelle Revue Francaise
1909年2月1日号の表紙
ジャンル文芸雑誌
刊行頻度隔月
発売国 フランス
言語フランス語
出版社ガリマール出版社
ISSN0029-4802
刊行期間1908年 -
ウェブサイト ⇒新フランス評論
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『新フランス評論』(しんフランスひょうろん、La Nouvelle Revue Francaise)は、1908年創刊のフランス文芸雑誌。2度の大戦時の休刊を経て今に続く。初期は同人誌だったが、現在は総合出版の大手ガリマール出版社が発行している。多くの作家を育てた。N.R.F.、NRF、nrfとも書かれる。読みはエヌエルエフ(エネレフ)。
小史

1908年11月、若い作家らによりパリで創刊されたが、直ちに派閥割れし、1909年2月、再出発した。同人はアンドレ・ジッド、アンリ・ゲオン(フランス語版)、ジャン・シュランベルジェ(フランス語版)、ジャック・コポー、アンドレ・リュイテルス(フランス語版)、マルセル・ドルーアン(フランス語版)の6人であった。「出直し創刊号」は、ジッドの『狭き門』第一部も載せた[1]

第24号を出した1910年末、出版部門設立のため、同人らが知る資産家の息子、ガストン・ガリマールに声をかけた。NRF出版社(Editions de La Nouvelle Revue francaise)が1911年3月に発足し、ガリマールが『新フランス評論』誌の出版人となった[2]

1913年10月、ジャック・コポーが旗揚げしたヴィユ・コロンビエ座は、NRFの演劇部門であり、一党が開場の雑役を手分けし、初日には総見におよんだ。

第一次世界大戦が勃発して関係者の多くが出征し、1914年9月から1919年6月まで休刊した。

第二次世界大戦中のパリのナチスは、親独のピエール・ドリュ=ラ=ロシェルの編集長就任を強行し、NRF誌は1940年12月以降彼が編んだが、同人らの非協力のため、1943年6月、休刊に追い込まれた。

1953年1月、『新新フランス評論』と改名して再出発した。復刊に手間取ったのには、対独協力に関する戦後の糾弾の矛先を、「ガリマール書店」が、「ドリュ=ラ=ロシェル編集の『新フランス評論』誌」の方へかわした、という事情があった。

『新新』誌は、モーリス・ブランショの時評が評判を呼んだ。1959年2月号から『新』を一つ除いて旧名に戻した。1999年1月からは、季刊に間延びした。
編集長と筆者

1909年 - 1912年:アンドレ・ジッド

1912年 - 1914年:ジャック・コポー
この時期までの筆者(抄):
エミール・ヴェルハーレンロマン・ロラン、アンドレ・シュアレス(フランス語版)、ポール・クローデルフランシス・ジャム、アンドレ・ジッド、ポール・ヴァレリーマルセル・プルーストシャルル・ペギーレオン=ポール・ファルグオスカル・ミロシュガストン・ガリマールロジェ・マルタン・デュ・ガールジャン・ジロドゥシャルル・ヴィルドラックジョルジュ・デュアメルジュール・ロマンジャック・リヴィエールサン=ジョン・ペルス ゴールミゲル・デ・ウナムーノジャック・ロンドンジョゼフ・コンラッド

1914年9月 - 1919年6月:第一次世界大戦による休刊


1919年 - 1925年:ジャック・リヴィエール
この時期の新たな筆者(抄):アランジュール・シュペルヴィエルフランソワ・モーリアックポール・モランジャン・コクトーピエール・ドリュ=ラ=ロシェルアンリ・ド・モンテルランアントナン・アルトーポール・エリュアールアンドレ・ブルトンルイ・アラゴンマルセル・アルランアンドレ・マルロージュゼッペ・ウンガレッティ

1925年 - 1940年:ジャン・ポーラン
この時期の新たな筆者(抄):ジャック・シャルドンヌ(フランス語版)、ガストン・バシュラール、ジョー・ブスケ(フランス語版)、ウジェーヌ・ダビ(フランス語版)、ジャック・オーディベルティ(フランス語版)、アンリ・ミショーミシェル・レリスレーモン・クノー、ジャン・フォラン(フランス語版)、ジャン=ポール・サルトル、ルネ・エティアンブル(フランス語版)、ロジェ・カイヨワT・S・エリオットボリス・パステルナーク

1940年 - 1943年:ピエール・ドリュ=ラ=ロシェル

1943年6月 - 1952年12月:第二次世界大戦末期以降の休刊


1953年 - 1968年:ジャン・ポーランとマルセル・アルラン

1968年 - 1977年:マルセル・アルラン

1977年 - 1987年:ジョルジュ・ランブリクス(フランス語版)

1987年 - 1996年:ジャック・レダ(フランス語版)

1996年 - 1999年:ベルトラン・ヴィザージュ(フランス語版)

1999年 - 2010年:ミシェル・ブロードー(フランス語版)

2011年 - 2015年:アントワーヌ・ガリマール(フランス語版)、フィリップ・フォレスト、ステファヌ・オードギー(フランス語版)

2016年 - :ミシャル・クレピュ(フランス語版)

脚注^ “ ⇒Fac-similes des deux numeros 1 de ≪La Nouvelle Revue Francaise≫ - Hors serie Litterature”. www.gallimard.fr. Gallimard. 2019年8月28日閲覧。
^ 書誌的には、「NRF誌」所載か、「NRF出版」刊行本かの、注意がいる。「NRF出版社」は、1919年に発足した「ガリマール書店」(Librairie Gallimard)の、「NRF出版部」になった。


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