新しき村
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

セマウル運動」とは異なります。
新しき村の入口新しき村旗1.新しき村(埼玉県入間郡毛呂山町)2.日向新しき村(宮崎県児湯郡木城町

一般財団法人新しき村(あたらしきむら)は、埼玉県入間郡毛呂山町(一部は同県坂戸市[1])、および宮崎県児湯郡木城町にある村落共同体。現在は一般財団法人。作家の武者小路実篤らにより創設された。
歴史1919年(大正8年)頃の新しき村入植当初の小屋宮崎県児湯郡木城町小丸川ダム湖(川原ダム)に突き出した半島状の場所が「日向新しき村」。

武者小路実篤とその同志により、理想郷を目指して1918年大正7年)、宮崎県(旧日向国)児湯郡木城町に開村された[2]。なお村の立地は小丸川の蛇行部分に突出した丘陵上で、戦国時代新納石城城跡でもある[2]

1938年昭和13年)にダムの建設により農地が水没することになったため、1939年(昭和14年)に一部が埼玉県入間郡毛呂山町葛貫の地(東の村)に移転し、残りは日向新しき村(ひゅうがあたらしきむら)として存続した[2][3]

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}第二次世界大戦終了時には1世帯のみとなっていたが[要出典]、入村者が増え、1948年(昭和23年)に埼玉県庁から財団法人の認可を受けた。戦後始めた養鶏が成功し、1958年(昭和33年)には村外からの支援なしで自活できるようになった[1]。1960 - 1970年代には若者の移住が相次いで幼稚園もでき、村民は最多時で60人を超えた[1]

この村はただ生活するためのものではなく、精神に基いた世界を築く目的で開村されている。社会階級貧富の格差過重労働を排し、農業(養鶏のほか稲作[1]椎茸栽培など)を主とした自給自足に近い暮らしを行う。労働は「1日6時間、週休1日」を目安とし、余暇は「自己を生かす」活動が奨励される。三食と住居は無料だが、私有財産を全否定しているわけではなく、毎月3万5000円の個人費が支給される[1]

近年、村内の高齢化が進み、鶏卵の値下がりや人手不足で養鶏を止めるなど農業収入の低迷もあり、村の運営が困難になってきている。過去の積立金を取り崩して赤字を補填している[4]。2010年に太陽光発電を始めたが、固定価格買い取り制度終了で売電価格が下がったことも財政難の一因になった[1]2013年時点の村内生活者数は13人。村外会員は約160人ほど。2018年時点では宮崎で3人、埼玉で8人が暮らしていた[5]が、2021年春に70 - 80代の5人が離村し、2023年2月時点では3人へと減った[1]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:21 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef