断髪式
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断髪式(だんぱつしき)とは、大相撲引退した力士がそのシンボルともいえる大銀杏を切り落とす儀式のことを言う。切り落とされた大銀杏は、一般にはガラスケースに入れて保存される。相撲博物館で展示されることもある[1][2]。転じて、芸能人など力士以外の人物が公の場でを切り落とす行為の比喩としても用いられる場合もある[注釈 1]
引退相撲での断髪式詳細は「引退相撲」を参照

通常、引退に際し年寄名跡を襲名した力士の場合、引退相撲(「○○(力士名)引退 ○○(年寄名)襲名披露大相撲」と銘打たれて開催されることが通例)において、引退した力士の家族、後援者、恩人、友人らが次々と土俵に上がって、紋付羽織袴姿で座っている引退力士のに少しずつを入れ(特別な縁のない一般参加者は鋏を入れない)、最後に引退時の師匠に当たる親方が髷を切り落として終了となる。師匠が最後に切り落とす行為を止め鋏(とめばさみ)という。引退力士の横に行司が介添役として三方を持って立ち、鋏を入れる場所を指示する。切り取られた髷は三方に置かれる。現在では引退力士は椅子の上に座るが、昭和20年代中頃までは土俵の上に正座していた[注釈 2]。また土俵の上はロールシートがT字型もしくは十字型に敷かれるが、2000年代以降はレッドカーペットをイメージした赤いシートが使われることが多い。

力士によっては300人以上が鋏を入れることもあるが、2003年5月場所後に引退相撲を行った貴乃花の場合は、本人の希望もあって、相撲協会関係者、息子の花田優一、実兄で横綱だった花田勝ら親戚、同期生である魁皇ら50人に留まった。

土俵上は女人禁制ゆえに、男性のみが鋏を入れる為に土俵に上がることができる。しかし2010年9月場所後に引退相撲及び断髪式を行った千代大海が自身の希望に基づき実母に鋏を入れて貰うべく断髪式の途中で土俵を降り、土俵下で鋏を入れて貰う演出[3]がなされて以降、同様に断髪式の途中で土俵を降りたり、土俵の隣に設けたステージに移動したりして、女性に鋏を入れて貰う演出が多く見られるようになった。近年は引退力士が土俵の端(向正面側)に移動して女性が踏み台の上で鋏を入れるという、より自然な演出が増えている。

断髪式は引退力士にとって、長年頭の上にあった髷がなくなるため、「本当に大相撲から引退してしまうのだな」という気持ちや、今迄の相撲人生において沢山の想い出が甦るという理由からか、引退時記者会見ではさっぱりとした表情で話をしていた力士であっても、ほとんどの場合感極まって目から大粒の涙を流してしまう場合が多い。

整髪及び着替え後は、一種の「お約束」として身内の女性(夫人、母親、娘など)にネクタイを整えて貰うパフォーマンスを求められることが多い。断髪式時点で独身だった玉乃島は同部屋同期生の玉飛鳥が、稀勢の里は現役時代から仲のよかった元幕内・北太樹(年寄・小野川)が夫人役を買って出て笑いを取っていた。

引退相撲は原則として毎年1・5・9月の本場所終了後の1週間後の土日に両国国技館で開催される。また横綱・大関など人気力士の断髪式、披露パーティーの模様ともなれば、当日にテレビ中継されることもある[4]。@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important}

双葉山の断髪式。鋏を入れる羽黒山(1946年11月19日)。

羽黒山の断髪式。鋏を入れる時津風(双葉山)(1954年1月30日)。

断髪式開催当時の師匠以外が止め鋏を入れた例

本来、断髪式では開催当時の師匠が年寄名義で止め鋏を入れるものであるが、何らかの理由により不可能となる場合がある。その場合は別の年寄(もしくは元年寄)が代理を務める。引退から断髪式の間に師匠が退職したことにより師弟関係が消滅した場合、元師匠が個人名義で止め鋏を入れることもある。以下にその実例を引退相撲が開催されたケースに限定の上、理由別に挙げる。

断髪当時に襲名していた年寄名跡を四股名後ろの括弧書きに記し、引退力士以外の年寄(元年寄)も現役時の四股名で記す。
師匠の死去

鏡岩善四郎(粂川) - 止め鋏不明:現役中に師匠鬼竜山雷八が亡くなり、二枚鑑札で部屋を継承していた。

玉ノ海梅吉(二所ノ関) - 止め鋏不明:現役中に師匠玉錦三右エ門が亡くなり、二枚鑑札で部屋を継承していた。

羽黒山政司(立浪) - 止め鋏不明:現役中に師匠緑嶌友之助が亡くなり、二枚鑑札で部屋を継承していた。[5]

栃錦清隆(春日野) - 止め鋏常ノ花寛市:現役中に師匠栃木山守也が亡くなり、二枚鑑札で部屋を継承していたため、一門代表として常ノ花が止め鋏を入れた。

松登晟郎(大山) - 止め鋏前田山英五郎:引退当初は年寄・振分借株で襲名したが、師匠高登渉が松登の引退相撲直前に亡くなり、部屋を継承したため、一門代表として前田山が止め鋏を入れた。

琴櫻傑將(佐渡ヶ嶽) - 止め鋏佐賀ノ花勝巳:引退当初は年寄・白玉を襲名したが、直後に師匠琴錦登が亡くなり、部屋を継承したため、一門代表として佐賀ノ花が止め鋏を入れた。

輪島大士(花籠) - 止め鋏若乃花幹士:師匠大ノ海久光が輪島に花籠部屋を譲った後、輪島の引退相撲の直前に亡くなったため、花籠部屋の兄弟子に当たる初代若乃花が止め鋏を入れた。

師匠の退職もしくは廃業

前田山英五郎(高砂) - 止め鋏朝潮太郎:入門時の師匠。前田山が大関の時に廃業し、二枚鑑札で継承させていたため、本名の薦田長吉。引退相撲が行われた当時健在のため、師匠として止め鋏を入れた。

佐賀ノ花勝巳(二所ノ関) - 止め鋏不明:現役中に先代師匠玉ノ海梅吉の廃業により、二枚鑑札で部屋を継承していた。

星岩涛祐二(陸奥) - 止め鋏豊山勝男:師匠星甲良夫の停年退職と共に引退し、部屋を継承していた。師匠は健在だったが、一門代表として豊山が止め鋏を入れた。

琴ノ若晴將(佐渡ヶ嶽) - 止め鋏琴櫻傑將:相撲協会を停年退職していたため、本名の鎌谷紀雄。師匠琴櫻の停年退職と共に引退し、部屋を継承していた。

潮丸元康(東関) - 止め鋏高見山大五郎:相撲協会を停年退職していたため、本名の渡辺大五郎。師匠高見山の停年直前に引退、小野川を一時襲名後、停年退職と共に部屋を継承していた。

土佐ノ海敏生(立川) - 止め鋏藤ノ川武雄:入門時の師匠で11代伊勢ノ海親方。相撲協会を停年退職していたため、本名の森田武雄。当初は藤ノ川が協会在職中の2011年5月場所後に開催される予定だったが、大相撲八百長問題の影響で2012年1月場所後に延期されていた(藤ノ川の停年は2011年9月場所後)。12代伊勢ノ海の師匠北勝鬨準人も鋏を入れたが、後述する高見盛のように新旧師匠2人掛かりの止め鋏ではなく、別々に鋏を入れる形式であった。

高見盛精彦(振分) - 止め鋏高見山大五郎:入門時の師匠で12代東関親方。相撲協会を停年退職していたため、本名の渡辺大五郎。高見山の退職からは4年が経過していたが、高見盛の希望か13代東関の潮丸の計らいか理由は不明。先に潮丸が半分ほど鋏を入れ、高見山が残りを切り落とすという流れだった。また断髪後の四方への礼は新旧師匠が揃って行われた。

蒼国来栄吉(荒汐) - 止め鋏大豊昌央:相撲協会を退職していたため、本名の鈴木栄二。師匠大豊の停年2日前に引退し、部屋を継承していた。


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