斎藤雅樹
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外交官・大使の「齋藤正樹」、寿司職人の「齋藤正樹 (寿司職人)」、元サッカー選手の「齋藤将基」、あるいは旅行作家の「斉藤政喜」とは別人です。

斎藤 雅樹高木豊のYouTubeチャンネルに出演する斎藤雅樹
(2020年8月)
基本情報
国籍 日本
出身地埼玉県川口市
生年月日 (1965-02-18) 1965年2月18日(59歳)
身長
体重181 cm
90 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り1982年 ドラフト1位
初出場1984年4月6日
最終出場2001年9月30日(引退試合)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴


川口市立川口高等学校

読売ジャイアンツ (1983 - 2001)

監督・コーチ歴


読売ジャイアンツ (2002 - 2003, 2006 - 2018)

野球殿堂(日本) 殿堂表彰者
選出年2016年
得票率84.6%(337票中285票)
選出方法プレーヤー表彰
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

斎藤 雅樹(さいとう まさき、1965年2月18日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手投手)、野球指導者。現在は野球解説者
概要

サイドスローの投球フォームで1989年から1990年代の巨人投手陣を支え「平成の大エース」と呼ばれた。巨人では投手として、6度のリーグ優勝、3度の日本シリーズ優勝に貢献。

桑田真澄槙原寛己とともに先発「三本柱」と呼ばれた[1]3人の中でも抜きん出た成績を残し、沢村栄治賞3回、最優秀選手1回、最多勝利5回、最優秀防御率3回、最多奪三振1回、最高勝率3回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回 など数々のタイトルや表彰を獲得した。1994年には、10.8決戦に登板し、勝利投手となった。

連続完投勝利記録(11)とシーズン最多完封回数(7)のNPB最多記録を持ち、2年連続20勝達成などでセ・リーグ最多記録となる最多勝利を5回獲得、セ・リーグ最多タイ記録となる最高勝率を3回獲得、セ・リーグ投手最多記録となるベストナインを5回受賞している。平成初の沢村栄治賞を受賞し、史上4人目の沢村栄治賞3回受賞も達成した。

選手時代の愛称は同音姓の芸能人・斎藤清六にちなんでセイロク。評論家となってからは、フジテレビONEの「プロ野球ニュース」などで「雅樹さん」と呼ばれている。
経歴
プロ入り前

東京都足立区で出生した後に、埼玉県川口市で生活[2]。小学校5年時に、川口リトル・レッドボーイズで軟式野球を始めた。入団のきっかけは、川口市の「市政だより」で選手募集の情報を目にした実母が、本人に無断で募集に応じたことにある[3]。本人は入団に乗り気でなかったが、「やると決めたら一生懸命やる」という性格から、入団テストでは地肩の強さを遠投で発揮。その強肩を見込まれて合格すると、捕手として本格的に野球に打ち込むことになったという。

川口市立北中学校を経て進学した川口市立川口高校で硬式野球部に入ると、かつて阪神タイガースの投手として通算31勝を挙げていた内山清監督の指導で頭角を現す[2]。3年時(1982年)夏の全国高等学校野球選手権埼玉大会では決勝で熊谷高校と対戦したが、8回裏にエースの江頭靖二から2点適時打を打たれたことが響き、1対3で敗戦。結局、在学中は春夏とも甲子園球場の全国大会へ出場できなかった[2]
プロ入り後
1994年まで


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