斎藤恭央
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桜塚やっくん
2007年4月16日撮影
本名斎藤恭央
生年月日 (1976-09-24) 1976年9月24日
没年月日 (2013-10-05) 2013年10月5日(37歳没)
出身地 日本 神奈川県横浜市[1]鶴見区
言語日本語
コンビ名あばれヌンチャク(1999年 - 2005年)
相方竹内幸輔(コンビ時代)
芸風漫談
公式サイト ⇒桜塚やっくんの見ないとがっかりだよ(ブログ)
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うえだ ひろみ
植田 浩望
プロフィール
本名斎藤 恭央
性別男性
出生地 日本 神奈川県横浜市鶴見区
死没地 日本 山口県美祢市
中国自動車道下り線
生年月日 (1976-09-24) 1976年9月24日
没年月日 (2013-10-05) 2013年10月5日(37歳没)
血液型B型
身長169cm
職業お笑いタレント声優俳優歌手
活動
活動期間2008年 - 2013年

音楽活動
活動名義桜塚やっくん
職種歌手
担当楽器
俳優活動
活動名義植田浩望 / 桜塚やっくん / 斎藤恭央
ジャンルテレビドラマ映画
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

桜塚やっくん(さくらづかやっくん、1976年9月24日 - 2013年10月5日[2][3][4])は、神奈川県横浜市鶴見区出身の男性お笑いタレント声優俳優歌手である。以前はジャニーズ事務所に所属しており[5]、本名の斎藤 恭央(さいとう やすお)で活動していた。

日本大学高等学校日本大学芸術学部映画学科演技コース卒業。トップコートを退所後、個人事務所を設立。血液型B型。(自ら立ち上げた)日本女装協会会長を務めた[6]
目次

1 来歴

1.1 ピン芸人時代

1.2 音楽活動

1.3 交通事故死


2 人物

3 「スケバン恐子」

4 後任

5 出演作品

5.1 バラエティ

5.1.1 レギュラー出演

5.1.2 その他


5.2 ラジオ

5.3 CM

5.4 声優

5.4.1 テレビアニメ

5.4.1.1 斎藤恭央名義

5.4.1.2 桜塚やっくん名義


5.4.2 吹き替え

5.4.3 ゲーム

5.4.4 ドラマCD


5.5 俳優

5.5.1 テレビドラマ

5.5.2 映画


5.6 Vシネマ

5.7 舞台


6 発表作品

6.1 音楽作品

6.1.1 シングル

6.1.2 アルバム

6.1.3 DVD


6.2 著書

6.3 写真集


7 脚注

7.1 補足

7.2 出典


8 関連項目

9 外部リンク

来歴

少年時代は本名名義でジャニーズJr.として活動した。大学在籍時の19歳から21歳まで3年間、俳優・新藤栄作主宰の劇団無現で芝居の基礎を学んだ。大学卒業後、スクールJCAに入所し、1999年には石井光三オフィス所属として、竹内幸輔とお笑いコンビ「あばれヌンチャク」結成[5][7]ツッコミ(ネタによってはボケ)の「やっくん」として絵描き&ネタ作りを担当したが、2005年に相方の竹内が声優への転向を決意したことをきっかけに斎藤が竹内の希望を優先した結果、コンビを友好的に解散した[5][7]。斎藤の没後、竹内は解散後も交流を続けていたことを斎藤への追悼と併せ、自らのTwitter内で明かした。

また、2002年にはテレビアニメ『満月をさがして』のオーディションを受け合格。アニメ版の設定においてはバイク事故で死亡して死神となってしまった少年、タクト・キラの声を本名名義で担当し、声優としても知名度を上げる。同番組の企画CDでは死神:タクト・キラ(人間名:吉良托人・きら たくと)役でETERNAL SNOW」を披露し、これが初めての歌の仕事となった。
ピン芸人時代

コンビ解消後、ピン芸人としてのネタを模索していたところ、後述の「スケバン恐子」が作られた。その後、エンタの神様プロデューサーの提案もあり「桜塚やっくん」と改名した。

2007年1月10日には、一青窈の紹介でフジテレビ笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに初登場し、「ココに出るのが夢だった」と喜んだうえ、他コーナーにも登場するなど生放送終了まで出演した。当時、「テレフォン-」のゲストが番組終了時まで残ることはあまりなく、珍しいことだった。同年4月に公開された映画『名探偵コナン 紺碧の棺』では、その応援団として宣伝も兼ねて4月21日阪神巨人戦(甲子園)で始球式を行ない、阪神ファンであることを明かした。しかし、同年12月に喉のポリープの切除手術で入院したため、同年終盤からスケジュールを空けていた。

2008年より、「植田 浩望(うえだ ひろみ)」として俳優活動を開始する[5][7]

2010年10月16日を持ってこれまで所属していたトップコートを退所し、自ら会社を立ち上げたことをブログで報告した。[8][5][7]

2011年1月11日放送の『あらびき団』では、円谷プロに500万円かけて発注した甲冑の衣装を纏ってネタを披露したが、内容は親父ギャグだった。

同年3月24日準強姦容疑で書類送検されたと報じられた[9]。やっくんはブログにて「事実無根の内容が一部報道されて」いるとし「今後一切僕が逮捕される事や起訴されることもありません!」と述べた[10]ほか、弁護士を通じて警視庁の捜査関係者あてに名誉毀損を訴える法的措置を取る意向を明らかにしていた[11]。同弁護士によると、女子大生との示談の有無については答えられないとのこと[11]。この騒動がきっかけで「仕事のスケジュールがバタバタとキャンセルに」なったという[12]
音楽活動

2006年7月19日、歌手として自身が作詞した「ゲキマジムカツク」でCDデビュー(作曲:AnchangSEX MACHINEGUNS〉)。同年10月18日には2ndシングル「1000%SOざくね?」を発売。タイトルはシブがき隊の「100%…SOかもね!」と、当時の若者言葉の「うざくね?」をあわせたものである。なお、その年のNHK紅白歌合戦に、個人男性としては前年のゴリエに次いで史上2人目となる紅組としての出場が報道されていたが、歌手の出場者としては選ばれず応援ゲストとして出演。2010年TBS系の音楽番組『Music Birth』の中で結成されたバンド「美女♂men Vlossom」(後に美女♂men Zへ改名)のボーカリストとしての活動を開始する。高見沢俊彦プロデュースのもと、SHAZNAのカバー曲である「Melty Love」にてバンドデビューを果たした。
交通事故死

2013年10月5日山口県美祢市東厚保町の中国自動車道下り線、伊佐パーキングエリア付近で[3][2]、自らがハンドルを握ってトヨタ・ハイエース[補足 1]を運転していた際に[15]中央分離帯に衝突する単独事故を起こし[3][2]、車外の路上へ出たところを後続車にはねられた[16][5]。その後病院へ搬送されたものの、同日18時16分に心臓破裂により死亡が確認された(37歳没)[16][5]。同月6日に熊本県荒尾市あらおシティモールで開催される予定だった美女♂menZのイベント出演のために移動中だった[16][5][補足 2]

彼の訃報に対し、遺族やファン、元相方の竹内のみならず、鉄拳ヒロシカンニング竹山陣内智則狩野英孝芋洗坂係長などのお笑い芸人[18]や、アニメやゲーム作品で共演経験のある折笠富美子[19]myco[20]稲田徹[21]緒方恵美[22]などの声優、『エンタの神様』プロデューサーの五味一男や『名探偵コナン』プロデューサーの諏訪道彦[23]など番組スタッフ、ゴールデンボンバー、美女♂Menのデビューシングルの原曲を歌ったSHAZNAの元フロントマンのIZAMなどミュージシャンや歌手、『満月をさがして』の原作者である漫画家種村有菜[24]といった生前に交流のあった人々から、やっくんの公式サイトや記者会見、ツイッターやブログなどを通して哀悼の念が多数寄せられた。


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