斎藤勇東大名誉教授惨殺事件(さいとうたけし とうだいめいよきょうじゅ ざんさつじけん)とは、東京大学名誉教授で文化功労者の斎藤勇が1982年に殺害された事件[1][2][3][4]。 被害者の斎藤勇。1979年1月27日、東京都新宿区の自宅書斎にて目次 当時95歳の斎藤勇は、息子の斎藤真(61歳)たちとともに東京都新宿区南榎町の自宅で同居生活を送っていた[1]。真の息子X(27歳)は千葉県旭市の海上寮療養院で統合失調症と診断され入院していたが、この日は自宅で過ごしていた[1]。真夫妻は名古屋に出張中であった[5]。 Xは1982年7月3日から何も食べず様子がおかしくなった[1]。家政婦の連絡を受けて急遽帰宅した母親は心配し、7月4日、海上寮療養院に電話で相談したが[1]、病院からは、とにかく刺激しないように、詳しい様子をさらに観察して知らせるようにとの指示を受けた[5]。 するとXは一時的に平静を取り戻したため、母親は7月4日の午後12時半すぎ、海上寮療養院に再び電話して「様子を見ているといくらかよくなっているようですので、父親が名古屋から帰ってきたら相談して、改めてもう一度連絡します」と伝えた[5]。 ところが午後になるとXは興奮状態に陥り、英語で意味不明なことをわめき出し、午後1時20分頃、台所から刃渡り18センチの柳刃包丁とチーズ用ナイフを持ち出し、祖父の勇の書斎に侵入した[5]。Xは母親や家政婦の制止を聞かず、勇に本や新聞を投げつけ、やがて金属製の置時計で勇の頭部を殴打しはじめた[5]。このとき、勇は頭部に15ヶ所、顔面に17ヶ所、前顎部に8ヶ所の挫創を負っている[1]。 やがてXは勇の眉間に柳刃包丁を9センチ突き立てた[1]。勇は断末魔の叫びを上げて絶命した[1]。死因は頭部顔面打撲による外傷性クモ膜下出血であった[1]。また、母親は1ヶ月の重傷を負い、家政婦も負傷している[5]。
1 事件の経緯
2 犯人のプロフィール
3 関連記事
4 脚注
事件の経緯