斉中親王
時代平安時代前期
生誕仁和元年(885年)
薨去寛平3年10月13日(891年11月18日)
父母父:宇多天皇、母:橘義子
兄弟醍醐天皇、斉中親王、斉世親王、敦慶親王、敦固親王、斉邦親王、均子内親王、柔子内親王、君子内親王、戴明親王、敦実親王、孚子内親王、成子内親王、依子内親王、行中親王、誨子内親王、季子内親王、雅明親王、行明親王、源順子、他
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斉中/齊中親王(ときなかしんのう)は、宇多天皇の第二皇子。母は参議橘広相の娘・義子。 元慶9年/仁和元年(885年)、臣籍に降下していた源定省の二男・源斉中として生まれる。仁和3年(887年)、父(宇多天皇)の皇籍復帰と即位に伴い、皇族に列することになった。 仁和5年(889年)の元日に5歳で元服[1]。同年12月(890年1月)に維城王(後の敦仁親王こと醍醐天皇)らとともに親王宣下を受ける[2]。しかし、2年後の寛平3年(891年)10月13日に7歳で夭折。薨奏は行われなかった[3]。
経歴
脚注^ 『日本紀略』仁和5年正月1日条
^ 『日本紀略』寛平元年12月18日条
^ 『西宮記』寛平3年10月13日条