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やノートページでの議論にご協力ください。文転(ぶんてん)とは、理系課程で学ぶ者が、文系課程の専攻に鞍替えする行為を言う。
日本では、高校時点で自らの意思で理数系コースに進級した生徒が、理数系の数学等でつまずきはじめ、大学受験時に志望する学部を、理科系学部ではなく文科系学部にて受験する、といった消極的ニュアンスであることが多い。逆の事例は理転と呼ばれるが、一般的に理転をするには、現在の高等学校のカリキュラムでは困難を伴う場合が多いとされている。(以下を参照) 日本の普通高校教育課程では、高校2年時或いは3年時に生徒自身の決断によって、理科や数学の多い理系コース、或いは英語、国語や社会等文科系科目の多い文系コースに進級する。高校によって違いはあるものの、学力、特に理数系の科目で苦手意識を持つに至った生徒が文系コースを選ぶなど消極的な選択理由も多い。 日本の多くの高校ではカリキュラム上理系コースに進んだ場合、理科の4科目である物理・化学・生物・地学の中から少なくとも2科目課され、数学は文系では履修しない数学Vなどが課される。そのため更に急ピッチで理数系の授業をせざるを得ないため、その段階で特に物理、数学等でつまずく者が少なからず生ずる。高校次第では一旦理系コースに進級すると文系コースへの変更が認められないことが多くあり、彼等は理系コースでの理数系授業中に自発的に文系科目の勉強を行う(仮面文転)ため、大学は文系学部に進学してゆく。 コース分けが早過ぎるため、文系コースで学んだ者による商社等で要求される最低限度の科学技術に対する無知、無理解や理系コースで学んだ者による英語、国際情勢等に対する無知、無関心がしばしば実社会で弊害となっている。更に、高校での理系コース時点から学ぶ数学や物理等の授業のスピードが速すぎたり、文系コースでは、大学受験のために、歴史等の社会科で膨大量の無意味な年号丸暗記教育がなされる弊害がある。 文系の私立大学は受験科目で地歴公民の代わりに数学を選択することが可能な学部(経済・商学系統など)を設置しているところがほとんどであり、数学が苦手な元理系の受験生でも歴史科目と比較するとより短期間での習得が容易な政治・経済や地理を受験することが可能な大学もある。
高等学校における文転
他分野において学位を取得した著名人(再入学含む)
吉田茂- 第45・48・49・50・51代内閣総理大臣。東京物理学校(東京理科大学の前身)を中退し、学習院大学科、東京帝国大学法科大学を経て政治家に進む。
千住明 - 作曲家。慶應義塾大学工学部(現理工学部)を中退し、東京芸術大学音楽学部作曲科に進む。
新井和広 - 歴史学者。埼玉大学工学部から、ミシガン大学大学院近東研究学科に進学。慶應義塾大学教授。
新井将敬 - 政治家。東京大学理科一類から同大学文科一類(当時は現在の文科一類と文科二類に相当する)に再入学し、経済学部に進む。自殺。
五十嵐一 - 中東・イスラーム研究者。東京大学理学部数学科から東京大学大学院博士課程美学芸術学を修了。筑波大学助教授在職中殺害された。
伊藤和行 - 科学史家。北海道大学理学部卒業後、京都大学文学部教授となった。
伊藤茂昭 - 弁護士。新潟大学医学部を中退し中央大学法学部に進学。元日本弁護士連合会副会長。
伊藤宗彦 - 経営学者。名古屋大学工学部卒業。神戸大学大学院経営学研究科修了。神戸大学名誉教授。
植田和男 - 経済学者。東京大学理学部卒業後、東京大学経済学部に学士入学。日本銀行総裁。東京大学名誉教授。
宇沢弘文 - 経済学者。東京大学理学部卒業後、スタンフォード大学で経済学に転じる。東京大学名誉教授。
小川英次 - 経営学者。名古屋大学工学部卒業後、名古屋大学経済学部に進学。名古屋大学名誉教授。
丘山新 - 京都大学理学部物理学科卒業後、東京大学大学院人文科学研究科印度哲学専攻修士課程に進学し修了。浄土真宗本願寺派総合研究所所長、中央仏教学院学院長。
小黒一正 - 経済学者。京都大学理学部物理学科卒業。一橋大学大学院経済学研究科修了。法政大学教授。
風間計博 - 文化人類学者。東北大学理学部卒業。総合研究大学院大学文化科学研究科修了。京都大学教授。
小林彰太郎 - 自動車評論家。