文藝春秋読者賞
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文藝春秋読者賞(ぶんげい しゅんじゅう どくしゃしょう)は、「文藝春秋」の読者が、同誌の最も優れた記事を表彰する賞である。

毎年12月号で募集される。読者は、その年の1月号から12月号までの全記事から、最も面白かった、最も感銘深かった記事を一つ選ぶ。連載、コラム、グラビアも対象となる。それを綴じ込みの料金受取人払いの葉書に書き、編集部へ郵送する。1954年から63年までは年二回であった。

投票数一位から十位までの記事から選考委員が審議して決定する。受賞作は毎年2月号で発表される。受賞者には、賞金の五十万円と記念品の時計が贈られる。また、応募した読者からは抽選で三十名に三万円、二百名に図書カード三千円分が贈られる。
受賞作

(発表は当該年度翌年の2月号)

第1回(1949年)
辰野隆サトウハチロー徳川夢声「天皇陛下大いに笑ふ」

第2回(1950年)坂口安吾「巷談」

第3回(1951年)尾崎士郎「天皇機関説」

第4回(1952年)小泉信三「平和論」

第5回(1953年)阿部真之助「現代政治家論」

第6回(1954年上)行広房子「原爆少女母親の記録」

第7回(1954年下)中谷宇吉郎「科学と国境」

第8回(1955年上)吉川英治「忘れ残りの記」

第9回(1955年下)文藝春秋編集部「新聞の尻に敷かれる日本人」

第10回(1956年上)大宅壮一「日本の裏海道を行く」

第11回(1956年下)山下清「ハダカの王様西へ行く」

第12回(1957年上)鈴木茂三郎「一社会主義者の半生」

第13回(1957年下)伊藤正徳三笠の偉大と悲惨」

第14回(1958年上)竹山道雄「妄想とその犠牲」

第15回(1958年下)美濃部亮吉「苦悶するデモクラシー」

第16回(1959年上)松本清張小説帝銀事件

第17回(1959年下)菊地政男・山地正「白い肌と黄色い隊長」 

第18回(1960年上)井上靖蒼き狼

第19回(1960年下)該当作なし

第20回(1961年上)加東大介南海の芝居に雪が降る

第21回(1961年下)松下幸之助「所得倍増の二日酔い」角田房子「東独のヒルダ」ほか

第22回(1962年上)山中峯太郎「実録アジアの曙」

第23回(1962年下)堀江謙一太平洋ひとりぼっち

第24回(1963年上)杉森久英「昭和の謎辻政信伝」

第25回(1963年下)城山三郎「硫黄島に死す」

第26回(1964年)石川達三「私ひとりの私」

第27回(1965年)水上勉「城」

第28回(1966年)草柳大蔵「現代王国論」

第29回(1967年)有吉佐和子「海暗」

第30回(1968年)司馬遼太郎「歴史を紀行する」

第31回(1969年)石原慎太郎小田実「日本について語ろう」

第32回(1970年)田村洪「対立する三人の公害告発者」

第33回(1971年)福林正之「かかる聖医ありき」

第34回(1972年)吉村昭「深海の使者」

第35回(1973年)山本七平「ある異常体験者の偏見」

第36回(1974年)立花隆児玉隆也「特集 田中角栄研究」

第37回(1975年)江藤淳「海は甦る」

第38回(1976年)夏之炎「北京のいちばん寒い冬」

第39回(1977年)本田靖春「誘拐」

第40回(1978年)土門周平ほか「第三次世界大戦」

第41回(1979年)森嶋通夫関嘉彦「大論争 戦争と平和」澤地久枝「昭和史のおんな」

第42回(1980年)上前淳一郎「洞爺丸はなぜ沈んだか」

第43回(1981年)長谷川慶太郎「世界が日本を見習う日」文藝春秋編集部「市民への直通電話」

第44回(1982年)ドウス昌代「ブリエアの解放者たち」

第45回(1983年)立花隆「田中角栄と私の9年間」読者投稿「されどわが満洲」

第46回(1984年)永井陽之助「現代と戦略」丸谷才一木村尚三郎山崎正和「鼎談書評」

第47回(1985年)浅利慶太「企業トップの『わが決断』」半藤一利「聖断」

第48回(1986年)渡辺淳一『静寂の声』藤尾正行「"放言大臣"大いに吠える」

第49回(1987年)深田祐介『新東洋事情』大前研一「「見えない税金」に怒れ」

第50回(1988年)林真理子「いいかげんにしてよアグネス」眞神博「衝突現場 15分間の新事実」

第51回(1989年)宮尾登美子『松風の家』、編集部「「輝ける昭和人」血族の証言55」

第52回(1990年)山崎豊子大地の子』、「昭和天皇の独白八時間」

第53回(1991年)中村紘子「ピアニストという蛮族がいる」城山三郎「本田宗一郎は泣いている」

第54回(1992年)佐々淳行「東大のいちばん長い日」(東大落城)

第55回(1993年)矢野絢也「極秘メモ全公開」伊藤律「『日本のユダ』と呼ばれて」

第56回(1994年)柳田邦男「犠牲 わが息子・脳死の11日」

第57回(1995年)近藤誠「あなたがガンになったとき」、編集部「美しき日本人50の肖像」

第58回(1996年)猪瀬直樹「日本国の研究」

第59回(1997年)稲泉連「僕が学校を辞めると言った日」久田恵「息子の心、親知らず」柳田邦男「脳治療革命の朝」

第60回(1998年)三好万季「四人はなぜ死んだのか」美智子「子供時代の読書の思い出」(特別賞)

第61回(1999年)「20世紀日本の戦争」阿川弘之中西輝政秦郁彦福田和也、猪瀬直樹/日垣隆「『買ってはいけない』は嘘である」

第62回(2000年)堀内光雄「石油公団は解散しろ」石原慎太郎「わが人生の時の人々」

第63回(2001年)塩野七生「日本人へ! ビンラディンにどう勝つか」山崎敏子「小児がん 九歳の息子が遺した言葉」

第64回(2002年)城山三郎「私をボケと罵った自民党議員へ」編集部「遺書 80歳 魂の記録」

第65回(2003年)加藤恭子「昭和天皇「謝罪詔勅草稿」の発見」片桐幸雄道路公団藤井総裁の嘘と専横」

第66回(2004年)岩瀬達哉「伏魔殿 社会保険庁を解体せよ」田中一昭松田昌士「小泉総理、石原国交相、猪瀬委員に問う 「道路公団」裏切りの民営化全内幕」

第67回(2005年)「日中韓「靖国参拝」大論争」櫻井よしこ,田久保忠衛, 劉江永[他] 「日本 敗れたり--あの戦争になぜ負けたのか」半藤一利, 保阪正康, 中西輝政、福田和也、加藤陽子戸高一成

第68回(2006年)玄侑宗久柳澤桂子般若心経 いのちの対話」

第69回(2007年)「昭和の海軍 エリート集団の栄光と失墜」半藤一利、秦郁彦、戸高一成、福田和也、平間洋一

第70回(2008年)戸塚洋二「あと三カ月 死への準備日記」佐藤優「インテリジェンス交渉術」

第71回(2009年)藤原正彦「名著講義」

第72回(2010年)村木厚子「私は泣かない、屈さない」渡辺淳一「天上紅蓮」

第73回(2011年)「田中角栄の恋文」佐藤あつ子、立花隆(解説)

第74回(2012年)柳田邦男「原発事故 私の最終報告書」保阪正康「太平洋戦争知られざる証言」

第75回(2013年)五木寛之「うらやましい死に方」野上孝子「山崎豊子先生の素顔」

第76回(2014年)半藤一利保阪正康磯田道史「「昭和天皇実録」の衝撃」


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