文翔館
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文翔館
ぶんしょうかん
文翔館(第2代山形県庁舎)
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施設情報
正式名称山形県郷土館
愛称文翔館
前身山形県庁舎・県会議事堂
山形県東南村山地方事務所庁舎
事業主体山形県
管理運営公益財団法人山形県生涯学習文化財団(指定管理者
建物設計田原新之助
開館1916年大正5年)6月
所在地990-0047
山形県山形市旅篭町3-4-51
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯38度15分24.8秒 東経140度20分28.4秒 / 北緯38.256889度 東経140.341222度 / 38.256889; 140.341222
外部リンク ⇒www.gakushubunka.jp/bunsyokan/
プロジェクト:GLAM
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文翔館(ぶんしょうかん)は、山形県山形市の中心部にある国の重要文化財「山形県旧県庁舎及び県会議事堂[1]」を修復・利活用している施設の愛称。正式名称は「山形県郷土館」。日没から21時30分までライトアップが行われている[2]
概要

1911年(明治44年)5月の山形市北大火によって初代山形県庁舎および県会議事堂は焼失してしまった。このため再建される新庁舎は耐火建築物として建設されることが決定し、出羽国米沢藩(現:米沢市)出身の中條精一郎設計顧問、県工師として東京から招いた田原新之助を設計・監督を行い[3]、当時の県総予算の4分の一である40万円を投じ[4]1916年(大正5年)6月、2代目の県庁舎および県会議事堂がイギリスルネサンス様式で竣工した[5]。建物はレンガ造りで(天井・小屋組は木造[5]、県庁舎は地上2階、半地下1階の3階建て。議事堂は平屋建て一部2階建て[5]外壁花崗岩は現在の南陽市産出のもので、屋根には宮城県雄勝町産の黒色スレートなどを使用した[6]
戦後

高度成長期に入り、県行政の中心である県庁の機能も複雑多岐にわたるようになり、増設を重ねてきた2代目庁舎も各部署が分散し、また狭いため、事務効率上の問題が指摘され始めた[7]。これを受け新県庁舎建設計画が策定され、建設地は開通が予定の山形自動車道山形蔵王ICから至近の山形市東郊のあこや地区(松波2丁目)とし、県の誕生百年を目前に控えた1975年(昭和50年)9月、総工費97億円余りを投じ建設された地下2階、地上16階の3代目県庁舎が完成した[7]

松波に県庁が移転後、2代目庁舎は山形県東南村山地方事務所庁舎が完成するまで暫定庁舎として利用されたが、2代目庁舎跡地の利用に関して県は、1973年(昭和48年)8月に副知事を会長とする旧県庁跡地利用問題懇談会を設置[8]。1975年8月、同懇談会は正面本庁舎は歴史資料館として永久保存すること。敷地すべてのうち、南面道路にあたる分を除くほかは、すべて緑地公園とする。などを内容とする利用計画を知事に答申した[9]。その後、山形市議会の市庁舎建設委員会が老朽化していた山形市役所の新庁舎建設用地として、2代目庁舎跡地が最も適しているとし、県当局と折衝する局面もあったが、県は懇談会の計画に沿って跡地を整備するという方針を1977年(昭和52年)度末に公式に打ち出した[10]
開館

1984年(昭和59年)12月28日に2代目庁舎および県会議事堂が、国から重要文化財に指定されたことを受け、1986年(昭和61年)7月から保存・公開にむけた修復工事のほか[3]、周辺を緑地公園に整備する事業が着手され、 1995年(平成7年)9月に事業が完了し、10月1日、「山形県郷土館」(愛称:文翔館)として開館した。修復工事では、コンサートなどを行うホールへの用途変更を行うために、L字型のステンレス製の巨大な補強材を両側面に六本ずつ設置して構造補強を行ったが、この補強材はあえて金属の地肌を露出させて、後世の補強材であることを強調している[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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