文系
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文系と理系(ぶんけいとりけい)とは、学問分野人物性格などの大まかな分類である。それぞれ文科系(ぶんかけい)、理科系(りかけい)とも呼ばれ、両者を合わせて文理(ぶんり)という。

文系と理系の区別は日本固有ではないが、経済学(economics)を欧米の大学では理系分野を用いた学部(Bachelor of Science in economics[1])も設けている大学や大学院があるなど差異はある。逆に日本と同様の文系の経済学部はBachelor of Arts in economics[2]

英語で理系学問の総称をSTEM (Science(自然科学), Technology(応用科学), Engineering(工学) and Mathematics(数理学))と呼び、理工農系など理系学部卒は理系学士(BS,BSc,Bachelor of Science) を名乗れる。文系の総称を人文・社会科学Humanities and Social science=HSS)と呼び、文系学部卒は文系学士(BA,Bachelor of Arts)と名乗れる[3][4][5][6][7][8][9]
概要

伝統的に、文系とは主に人間の活動を研究の対象とする学問(主に人文科学社会科学に分類される)の系統とされ、理系とは主に自然界を研究の対象とする学問(およそ自然科学に分類される)の系統とされてきた。しかし現在では、研究対象よりもむしろ課題解決のために用いる手法で分類されることが多い。たとえば金融工学社会工学は、研究対象こそ「人間の活動」であるが、研究対象をほとんど同じくする経済学社会学とは異なり一般には理系とみなされる[注 1]

個別の学問分野がいずれに属するのかについては、文系的と捉えられることが多い学問理系的と捉えられることが多い学問を参照のこと。なお、橋爪大三郎は学問分野を理系と文系で区別する概念がある国は日本だけと主張している[10][要ページ番号]。
文系と理系とを特徴づける性質

1981年に細胞生物学者の太田次郎が「どうも、文科と理科というのは、(中略)旧制高校時代にはそれなりにはっきりしていたが、しだいにその区別がぼやけてきたような感じがする」と述べている[11]
数理科学の応用度

一般に、理系の学問は数学との親和性が高いため、「理数系」と呼ばれる場合もあるが、理系であっても、全分野で一様に高度な数学を用いるとは限らない。工学博士の森博嗣は、解剖学者の養老孟司と対談した際、「総じていえば、実験科学に高度な数学は不要でした」と述べ[12]、たとえば自身の専門であるコンクリートの研究においては「研究の六割方は実験」「微積分も不要」「文系の人でもできる作業」などと発言した[12]。しかしその後「どうしてその強度が発現するのか」が研究者の視点であって、そうなると数学が必要になります。 ? 森博嗣による発言[注 2]、『文系の壁―理系の対話で人間社会をとらえ直す』(養老孟司、PHP新書、2015)24頁

とも述べ、実験科学においても突き詰めて研究していけば数学が必要になることも認めている。

また、後に述べるように、文系分野における数学・物理学の活用は皆無ではない。それら例外については文系的と捉えられることが多い学問を参照のこと。
業績評価の違い

太田次郎は、研究業績の評価について、文理間では大きな違いがあると指摘している。いわく、理工系では、ふつう論文第一主義である。オリジナルな研究論文を、いつ、何編、発表したかが問題であって、その他の業績は付随的にしか扱われない。たとえば、その専門分野で一般に認められている著書を書いたにしても、あまり評価されないことが少なくない。啓蒙書や専門向きのテキストなどは、業績としてはノー・カウントにされることが多い。先端の研究をまとめた総説にしても、論文ほどには認められない。 ? 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)15頁

とのことであり、少なくとも理工系においては「一次情報第一主義」がとられているという。また、理系の多くの分野は、研究に際して高額な実験器具や測定器具があったほうが有利であり[13]、そのための研究費は論文数にほぼ比例して支給されるので、研究費を求める理系の研究者はとにかくたくさんの論文を量産しなければならない[14]。一方、文系においては事情はかなり異なる。太田によれば、この点は、文科系とはたいへん違うように思われる。大学の同僚に聞いてみると、文科系では、著書は論文より大きな評価を受けるのがふつうの由である。(中略)研究の集大成的な著書の方が価値が高いと考えられるようである。 ? 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)15頁、中略は引用者

とのことであり、論文をこまめに発表することは「悪いとは言われない」[15]が、基本的に業績評価の中心は総説であって、むしろ論文のほうが業績評価においてマイナーな扱いを受けることさえあるという。
論文様式の違い

1973年にノーベル医学・生理学賞を受賞したローレンツ(動物行動学者)の論文について、太田は「きわめて文科的な表現の仕方」[16]と評している。なぜなら、彼の著書や論文には、図や表がほとんどなく、気の短い人には耐えがたいと思えるほど、淡々と観察結果とそれに基づく自分の考えが記されている。 ? 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)18頁

からだという。当時生物学の最先端であった分子生物学の専門家からは、観察結果のみを図や表を用いて簡潔にまとめ、考察も極力排したような論文が好まれる傾向にあり、[16]また理系の他の分野についても理工系の論文の大部分は、単なるデータの報告に過ぎず、それから著者の考え方や人間像を推測するのは、とうてい無理であり、また初めからこんなことは問題となっていないということができよう。 ? 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)19頁

などといわれるように、ほとんど考察の無い図表のみの論文が多い。このように、論文の様式も文理では大きく違うものである。
研究適齢期

理系の研究者の場合、一般に若い頃の方が画期的な成果を出しやすい。数学者の広中平祐が「数学は、若いうちにやらないと駄目である」[17]と発言したように、数学や理論物理学の分野では、二十代がピークとされ、三十代半ばを過ぎると新たな成果は稀になる。顕著な業績をあげた学者というのは、三十歳くらいですでに傑出していることが多い。[17]

数学や理論物理学ほどではないものの、実験科学の分野でも、アイデアは若いときに出て、その後はそれを実証したり、さらに幅を広げるという人生を送ってきた研究者が多い。[18]

一方、文系の学問の場合は必ずしもそうではないという。太田次郎によれば、基本的な文献や資料を調べて、研究を進め、さらに集大成して、初めて一つの業績となる分野もあるように思われる。また、長期間の学習を重ねて、ものを見る眼がしだいに養成される分野もあるであろう。 ? 太田次郎、『文科の発想・理科の発想』(講談社現代新書、1981)80頁

とのことで、「どうも、理科系と文科系では、一般に勝負の速さに違いがあるように感じている」[18]という。
歴史と現状
歴史

学問を文系と理系に分けることの起源がおそらく日本にあるということは、多くの論者が指摘しているところである。太田次郎は、文系と理系の区別について、「おそらくその起源は、旧制高校の制度にあると思われる」と述べた。


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