文民
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文民(ぶんみん)は、一般に軍人でない人物を指す[1]。もとは日本国憲法を制定する際にシビリアン(英語: civilian)の訳語として造語された言葉である[2]。シビリアンとは、一般に「警察消防の一員でない者」を指す[3][4][5][6]。すなわち、公共のために犯罪災害戦争などへの対処にあたり、自分の危険にさらす業務に携わっていない人間のことである[7]

国際人道法のもとでは、シビリアンは「武装組織の一員ではなく」、「公然と武装し戦時国際法を尊重する戦闘員」ではない者と定義されている[8][9]非戦闘員の定義に近いが若干の相違があり、例えば交戦団体軍人中立の立場で帯同する従軍聖職者は非戦闘員だがシビリアンではない。戦闘に関与している団体の領域にいるシビリアンは、慣習国際法や、ジュネーヴ第四条約をはじめとする国際条約のもとで一定の権利を与えられる。その内容は国際法に基づき、戦闘の性格が内戦か国家間の戦闘かによって変化する。

本項では断りの無い限り国際法における「シビリアン」の概念を文民として説明する。日本、特に日本国憲法における日本語の「文民」の位置づけについては、「#日本における文民の意味」において述べる。一般的な言葉としての「シビリアン」に含まれる「一般市民」「民間人」といった意味合い[10]は、自衛官以外の公務員文官を含む「文民」と相違する部分があり、対照的な訳語にはなっていない。
語源

英語における「シビリアン」(civilian)の語源は、14世紀後半の古フランス語のcivilienすなわち「市民の法の」という言葉まで遡ることができる。1829年には、非戦闘員を指す言葉として「シビリアン」という言葉が使われ始めた[11]

日本においては、日本国憲法制定にあたり「文民」という言葉が創出された。当時の日本語にはcivilianに対応する語がなかったため、貴族院の審議では、「現在、軍人ではない者」に相当する語として、「文官」「地方人」[12]「凡人」などの候補が挙げられた。「文官」では官僚主義的であるとされ、「文民」という語が選ばれた[13]
シビリアン
戦時国際法における位置づけ

赤十字国際委員会は、戦時における文民の保護に関する1949年8月12日のジュネーヴ条約についての1958年のコメンタリーにおいて「敵国の手の内にあるあらゆる者は、国際法に基づき一定の待遇を与えられなければならない。その者とは、第三条約で扱った戦争捕虜、第四条で扱った文民、または第一条約で扱った軍隊内の医療関係者が含まれる。中間に位置する資格は存在しない。敵国の手の内にある何人たりとも法の外に置かれることはあり得ない。我々は、これが満足いく解決法であると感じている。単なる気分的なものにとどまらず、何より、人道主義的な観点から満足できるものである。」と述べている[14]。赤十字国際委員会は「もし文民が敵対行為に直接関与したならば、彼らは『不法な』あるいは『権利の無い』戦闘員あるいは交戦者と見なされる(なお人道の法に関する条約がこれに含まれているか否かは明確に示されていない)。彼らはその行動について、留置された国における国内法で裁かれる可能性がある。」とする見解を示している[15]

1977年のジュネーヴ諸条約第一追加議定書第五十条は、文民について次のように定めている[9]

1. 文民とは、第三条約第四条A(1)、(2)、(3)および(6)と、この議定書の第四十三条で規定された分類に含まれない者を指す。

2. 文民たる住民(civilian population)は、すべての文民である者から構成される。

3. 文民たる住民の中における文民の定義に合致しない諸個人の存在は、その住民から文民たる資格を奪うものではない。

この定義は、一定の分類に属さない者、という消極的な定義になっている。第三条約第四条4A(1)、(2)、(3)、第一議定書第四十三条で定められている者は、戦闘員である。そのため、議定書のコメンタリーでは、武装組織に属さず敵対行為を行わない者が文民である、という解説が加えられている。文民は、武力紛争に関与することができないかわりに、ジュネーヴ諸条約および議定書の保護下に置かれる。第五十一条では、文民たる住民や個々の文民に対する保護が与えられなければならないことが述べられている

第一追加議定書第三章では、文民に属するものを攻撃対象とすることを規制している。1998年の国際刑事裁判所ローマ規程の第八条8(2)(b)(i)でも、「そのような文民たる住民、あるいは敵対行為に加わっていない個々の文民に対する意図的な攻撃」が戦争犯罪にあたると定めている。すべての国家が第一追加議定書やローマ規程を批准しているわけではないが、文民に対する直接的な攻撃が戦争慣習法の違反に当たり、この点であらゆる交戦団体は規制を受ける、という認識は一般に国際人道法の原則として受け入れられている。
近現代の戦闘における文民

近現代戦における文民の地位は、実際のところ曖昧なままである。戦闘中に起こり得る以下のような現象が、この問題を複雑にしている。

現代における戦闘の多くは本質的に
内戦であり、戦時国際法の適用が難しく、戦闘員と文民の区別も維持しがたい。

ゲリラ戦テロリズムは、いずれも戦闘員が文民を巻き込むことを前提としている場合が多い。

「効果ベース戦争」、すなわち敵戦闘員への攻撃よりも敵国の体制の力を削ぐことを重視するのドクトリンが発展を続けており、発電所など文民に属するものが攻撃対象となり得る。

ローフェア(英語版)の一環として、敵に文民を攻撃させ国際法違反の誹りを受けさせ信用を落とすために、人間の盾戦法がとられることがある。

徴兵制度が浸透しているなどして、大半の大人が軍事訓練を受けている社会においては、さらに文民の定義があいまいになる。これはイスラエル・パレスチナ紛争においてよく指摘される論点である[16]

1980年代初頭以降、近代戦における犠牲者の90パーセントは文民である、という主張がなされるようになった[17][18][19][20]。この言説は広く受け入れられているが、実際のところよく引き合いに出されるユーゴスラビア紛争アフガニスタン紛争などにおいてもエビデンスに基づく詳細な検証により立証されたわけではない[21]シリア内戦中、戦闘で傷つきアレッポの病院にやってきた文民。2012年10月

21世紀初頭、文民の法的位置づけについては、様々な問題をはらみつつも、メディアや国連において広く注目を集める議題となり、危機にさらされた住民を保護するという名目で軍事力の行使が正当化された[22]

本来、文民は本質的に戦争の受動的な傍観者であると考えられているが、時には彼らが戦闘の中で積極的な役割を負うこともある。例えば1975年、モロッコ政府がスペイン植民地である西サハラへの領有主張を実現するべく、組織的に文民を越境させる緑の行進を実施した。同時にモロッコ軍も、秘密裏に西サハラへの侵攻を果たしていた[23]。さらに文民は、非戦闘員の地位を放棄しないまま、独裁政権や他国の占領軍などに対して非暴力運動などで抵抗することがある。このような行動は戦闘員による戦闘やゲリラ的暴動と同時並行して発生することがあるが、多くの場合、抵抗運動を行う文民はそうした明確な軍事組織や軍事行動と一線を画している[24]
国際人道法による文民の保護

国際人道法に属する諸条約では、調印国に国家間の戦争時における文民の保護を強制している。調印していない国であっても、この国際法に従う必要があるというのが慣例的な認識である[25]。また国際人道法では、distinction、比例原則緊急避難の原則が戦闘時の文民保護と結びついている[25]。しかし国際連合は文民保護のために軍事組織を配置しているにもかかわらず、その運用における公式な方針を定めていない[26]。国連安全保障理事会報告書4では、戦闘時の文民保護がさらなる文民保護の必要性の証拠をもたらすとしている。国連は文民の安全が大規模に脅かされることは国際的な平和と安定に対する脅威となることを認識しており、文民保護と地域的安定化の手段を構築しようとしている[27]。2008年に最初に発表された安全保障理事会報告書4があるにもかかわらず、国連は各地域の諸国が地域内の戦争・内戦を調停し文民を保護するよう求めている(アフリカにおける紛争をアフリカ連合が取り締まるように)。


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