文化防衛論
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文化防衛論
作者
三島由紀夫
日本
言語日本語
ジャンル評論
発表形態雑誌掲載
初出情報
初出『中央公論1968年7月号
刊本情報
出版元新潮社
出版年月日1969年4月25日
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『文化防衛論』(ぶんかぼうえいろん)は、三島由紀夫の評論。昭和元禄と呼ばれた昭和40年代前半、学生運動がピークに達した時代に発表され、各界の論義を呼んだ三島由紀夫の論理と行動の書[1]高度経済成長が実現し、世間では3C(クーラーカーカラーテレビ)の耐久消費財が新・三種の神器として喧伝され、戦後文化が爛熟していた時期に、あえて「天皇」を打ち出した三島の代表的評論である。日本の伝統文化の危機に、「菊と刀」のまるごとの容認の必要性を説きつつ、その円環中心となる「文化概念としての天皇」の意義を論じている。
発表経過

1968年(昭和43年)、雑誌『中央公論』7月号に掲載され、初版単行本は翌年1969年(昭和44年)4月25日に新潮社より刊行された[2][3][注釈 1]。同書には他の評論や講演も収録されている[4]

翻訳版は、フランス語(仏題:Defence de la culture)で雑誌『Esprit』『fevrier』(1973年)に掲載された[5]
内容・あらまし
文化主義と逆文化主義
「華美な
風俗」だけが氾濫する戦後の日本文化の衰退や形骸化を「近松西鶴芭蕉もゐない昭和元禄」と皮肉る三島由紀夫は、何故そのように「の深化」を忘れた文化に陥ったのかを探り、その原因を、戦後の占領政策から端を発した外務官僚や文化官僚の手による「〈〉の永遠の連環を絶つ」政策にあると指摘し、それは社会主義国や革新政党の文化綱領とも共通する〈文化主義〉、つまり「文化をそのみどろの母胎の生命生殖行為から切り離して、何か喜ばしい人間主義的成果によつて判断しようとする一傾向」の支配にあると断じる。その〈文化主義〉とは、「市民道徳の形成に有効な部分だけを活用し、有害な部分を抑圧すること」であり、文化を〈もの〉(博物館的な死んだ文化)として観賞する「寛大な享受者」の芸術主義により、安全に管理された平和な〈人類共通の文化財〉であり、対外的には「日本の免罪符」ともなり、大衆ヒューマニズムを基盤とした「見せかけの文化尊重」である。そのような偏った〈文化主義〉は、一度ひっくり返れば、中国共産党文化大革命のような、革命精神のために「目に見える一切の文化」を全て破壊せしめる〈逆の文化主義〉〈裏返しの文化主義〉にも通じ、非武装平和・平和憲法精神のためなら、日本は一切無抵抗で外敵に皆殺しにされてもかまわないという極論に直結するものである。
日本文化の国民的特色
生きた文化とは、単なる〈もの〉ではなく、「行動及び行動様式」をも包含した「一つの(フォルム)」であり、「国民精神が透かし見られる一種透明な結晶体」である。日本文化は、「行動様式自体を芸術作品化する特殊な伝統」を持ち、「動態」を無視できない。三島は日本文化の「フォルム」をこう説明する。文化とは、の一つのから、月明の夜ニューギニアの海上に浮上した人間魚雷から日本刀をふりかざして躍り出て戦死した一海軍士官の行動をも包括し、又、特攻隊の幾多の遺書をも包含する。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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