文化浄化(ぶんかじょうか、英:Cultural cleansing
)は、特定の文化的背景をもつ民族・宗教・思想集団が、異なる文化圏や解釈に副わない文化財・文化遺産(文化資本・文化資材)を破壊あるいは文化的活動を阻害する行為を指し、広義では略奪行為も含み、文化的権利(英語版)や文化的自由を侵害する人権蹂躙とされる。ジェノサイド#定義と由来も参照。文化浄化への非難は現代社会の法秩序や規範の尺度に基づき、かつ西洋的保護主義あるいは伝統擁護意識・政策の中で生きる現代人特有の視点であり、時代や価値観が異なれば違った見方もあるが、古代中国の焚書坑儒や西洋のイコノクラスム、モンゴル帝国のバグダッド包囲戦、スペインのコンキスタドールや植民地における同化政策、ナチス・ドイツの焚書やホロコースト[1]、中華人民共和国の文化大革命、日本の廃仏毀釈なども文化浄化と見做されることもある。破壊されたサラエヴォ図書館
また、インディアン移住やソビエト連邦での少数民族強制移住など文化的空間・文化的環境を奪うことは、気候風土や生態系に根差した土着文化の継承を困難にし、有史以来のあらゆる文化を抹殺しようとしたカンボジアのクメール・ルージュによる大量虐殺は伝統的な芸能や織物の伝承を途絶えさせる寸前にまで追い込んでおり、このような無形物への破壊行為も文化浄化とされることもある。
文化浄化という言葉が登場したのは、1991年からのユーゴスラビア紛争に伴いサラエヴォの図書館(en
)が破壊されたことをうけ、ヨーロッパのメディアにおいて当時深刻な問題となっていた民族浄化の類義語として使われ始めたことによる。なお、この図書館破壊は「記憶殺し」と形容され(初言はスペインの作家フアン・ゴイティソーロによる『Cuaderno de Sarajevo(サラエヴォ・ノート)』[2])、ユネスコによる記憶遺産制定のきっかけの一つとなった。文化浄化という言葉が広く浸透したのは、イスラム過激派が巻き起こした一連の破壊行動による。一方でイスラム教徒に限らず、仏教徒によるモスクの破壊[3]、ユダヤ教徒によるモスクの破壊[4]、ヒンドゥー教徒によるモスクの破壊[5]も起きている。破壊前後のバーミヤン大仏
2001年
アフガニスタンにおいてタリバンがバーミヤン遺跡の磨崖仏二体を爆破。
アルカイーダによるアメリカ同時多発テロ事件により、ニューヨークなどアメリカの都市文化(英語版)が攻撃された[要出典]。
2011年
シリア内戦に伴う戦闘でシリアに6件ある世界遺産が破壊され、2013年に全て危機遺産に指定。
トンブクトゥを占拠したアンサール・アッ=ディーン
2012年
アンサール・アッ=ディーンがマリの世界遺産トンブクトゥを破壊[6]。
2014年
ISIL(イスラム国)によるヤジディ教に対する宗教弾圧(宗教文化の浄化)が露見。
2015年
ISILがフランスの風刺週刊誌社屋で殺戮を行ったシャルリー・エブド襲撃事件という報道文化(英語版)の浄化が発生。
ISILによりイラクのニムルドやハトラなどの遺跡が破壊された。
チュニジアでアンサール・アル=シャリーアによるものと目されるバルド国立博物館での銃乱射事件発生。文化浄化が目的であったか現時点では不明だが、イスラム教が否定する偶像などを収蔵する博物館・美術館が標的となったことは否めない。これらはイスラム教開祖のムハンマドが、630年にメッカにあるカアバに祀られていた偶像を破壊した行為を準え正当化しているものである。
ISILがパルミラを発掘したシリア人考古学者ハレド・アサドを同遺跡で殺害。
2020年
アメリカで男性ジョージ・フロイドが警官に拘束された際に死亡した事件を契機に、デモ活動が続き、世界中で銅像の落書きが相次いでいる。奴隷制の象徴へのヴァンダリズムであるが、コペンハーゲンにある人魚姫の像にracist fishと落書きされ、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}主旨に一貫性がないと思われる[誰によって?]。