文化放送メディアプラス
施設情報
所在地東京都港区浜松町一丁目31番
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分24.94秒 東経139度45分25.78秒 / 北緯35.6569278度 東経139.7571611度 / 35.6569278; 139.7571611
文化放送メディアプラス(ぶんかほうそうメディアプラス、media plus)は、東京都港区浜松町1丁目にある、文化放送の本社および演奏所などが入居しているオフィスビル。地上13階地下2階建ての鉄筋コンクリートビルである。2006年7月24日13時より運用開始。 新宿区若葉の「四谷」地区に1951年11月に完成した地上6階、地下1階の初代局舎は、文化放送の設立母体である聖パウロ修道会の布教活動の拠点も兼ねていたため、随所に教会のような雰囲気が漂い、第5スタジオは一時期、礼拝堂としても使われ、キリスト像なども設置されていた[2]。 何度か改築や増築が行われたが[2]、老朽化が進み、地震時に災害放送の継続が困難であること、デジタル化時代に向けた放送機能の整備が急務であることを踏まえ[3]、文化放送は社屋の新築移転を決定する。 建設地は、隣接する汐留地区に立地するテレビ局、広告会社、通信社等のメディア関連企業との連携が図りやすい[注 1]ことから[3]、浜松町一丁目駐車場跡が選定され、2004年春に着工し、2006年5月に耐震構造の地上13階・地下2階建ての建物全体が完成。7月19日に放送業務を除く編成・営業などのほか、文化放送グループ各企業の業務が新社屋で開始された。 放送業務開始日である7月24日には、午前8時半から野村邦丸らが四谷社屋から新社屋まで徒歩で移動しながら生放送する「さよなら四谷 こんにちは浜松町 くにまると一緒に歩こ歩こうデー」の後、12時57分からの「吉田照美のやる気MANMAN!」が新社屋からの第一声となった[2][4]。それ以降、メディアプラスに送出回線が切り替えられた。また7月29日には「浜松町で逢いましょう」と題して、みのもんたと吉田照美が進行役を務める特別番組が早朝から夕方まで放送された[2]。 なお、旧局舎は、東京消防庁のビル火災実験に供された後に解体。旧局舎屋上にあった非常用予備送信所は、旧局舎跡地に建設された賃貸マンション「ランテンヌ四谷」の屋上に再移転し、2008年5月19日開局した。土地自体は文化放送の大株主である聖パウロ修道会が現在も所有する。 新社屋建設に際して、浜松町駅周辺の都市計画における「歩行者ネットワーク形成」の一翼を担う役割を与えられ、その一環として、付置住宅の置換としてペデストリアンデッキの整備を行い、それにより道路を挟んだ世界貿易センタービルの2階デッキと建物は接続し、建物のメインエントランスはペデストリアンデッキから直接アクセスが可能な2階レベルに計画した[3]。さらに建設計画に合わせ、1階の広場に面した位置に大門駅出入口が整備されたほか、地下1階では大門駅と建物を連絡通路で接続させ、建物へのアクセス性向上が図られている[3]。 外装は白いモザイクタイルで構成し、南側外壁の一部を駅に直面するようにやや面を振り、3階?6階に100uの「メディアボード」を設置した。また足元の公開空地はピロティとし、誰もが立ち寄り、賑わうイベント広場として計画し、コーナーに文化放送サテライトプラスを配した(下記参照)[5]。 3階から7階までをテナントおよび関連会社のオフィスが占め、8階から上部6層を自社フロアとしている。地下1階、1階、2階の交通接点には店舗を配置し、賑わいと利便性を提供している[5]。 出典:[6][7]
概要
施設
フロア構成
文化放送サテライトプラス
13階
スカイラウンジ - 社員が昼食を取る社員食堂として使われているが、ミニイベントの開催も行われる。