文京区立小日向台町小学校
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文京区立小日向台町小学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分47秒 東経139度44分8秒 / 北緯35.71306度 東経139.73556度 / 35.71306; 139.73556座標: 北緯35度42分47秒 東経139度44分8秒 / 北緯35.71306度 東経139.73556度 / 35.71306; 139.73556
過去の名称東京市小石川第二尋常小学校
国公私立の別公立学校
設置者文京区
設立年月日1904年
共学・別学男女共学
学期3学期制
学校コードB113210500082
所在地112-0006
東京都文京区小日向2-3-8
外部リンク ⇒小日向台町小学校
ウィキポータル 教育
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文京区立小日向台町小学校(ぶんきょうくりつこひなただいまちしょうがっこう)は、東京都文京区に位置する公立小学校
概要

 文京区小日向の高台に位置し、周辺は閑静な住宅地。ガラス張りの階段室が特徴的な、鉄筋コンクリート3階建ての現校舎は、1938年3月竣工のもの。校庭は、人工芝(周辺部は天然芝)が敷かれ、遊具や自然園を配し、プールが埋設されている。そして、校地内の文京区立小日向台町幼稚園と校庭の一部を共用していることが特徴。自閉症・情緒障害を対象とする固定制学級を擁する区内2校のうちの1校(もう1校は、文京区立駒本小学校)。校歌の作詞は高野辰之、作曲は信時潔。卒業生総数は11,199名(2020年3月31日現在)。開校記念日は11月26日。
教育目標

心豊かに たくましく生きる児童の育成

自他を大切にする子 (生命尊重・規範意識・思いやり・道徳心)

進んで学ぶ子 (学習意欲・課題解決・向上心・学力向上)

心身をきたえる子 (忍耐力・あきらめずにがんばる精神・体力向上)

学校名の変遷

 東京市黒田尋常小学校(当時)の生徒数の分散を図るために東京市小石川第二尋常小学校を開校したが、校名について、より分かりやすい名前とするための会議が設けられた。候補として「小日向」、「小日向台」、「小日向台町」の三つの案が出され、結果として「小日向台町」に決定。1908年4月1日、「東京市小日向台町尋常小学校」に変更された。1941年4月、「東京市小日向台町国民小学校」への改称を経て、1947年に「東京都文京区立小日向台町小学校」という現在の学校名になった。なお、小日向の読みは、かつては「こびなた」であったといわれているが、現在は「こひなた」と称されている。略称は「こびだい」。
歴代学校長

初代 並木 左傅

第2代 神蔵 幾太郎

第3代 中井 篤冑

第4代 杉田 幸次郎

第5代 渡辺 千代吉

第6代 山本 松太郎

第7代 秋谷 良助

第8代 肥沼 健次

第9代 村山 邦幹

第10代 原島 好文

第11代 瀬戸 尊

第12代 市川 直

第13代 青山 泰次郎

第14代 馬場 篤輔

第15代 山路 治雄

第16代 大鐘 貞蔵

第17代 吉田 武義

第18代 伊藤 富雄

第19代 黛 至孝

第20代 田中 千昭

第21代 川上 繁

第22代 山田 英子

第23代 小野寺 忠雄

第24代 戸取 菊枝

第25代 合原 渡

第26代 高田 純子

第27代 小川 深雪

第28代 小駒 俊

第29代 田中 純一

第30代 溝畑 直樹

校舎

 現在の校舎は1938年に完成した。東京都の小学校においては、数少ない戦前に建設された校舎である。

 校内は、配管が見える状態になっている天井や、階段の円い踊り場など昭和初期の香りがただよう。すでに建設から80年以上経過しているが、定期的にメンテナンス、修理、改修工事、増築等を行いながら、現在も大切に使われている。

 その一方で、耐震基準は満たしているものの、維持費が年々増加していることなどから、改築が計画されている[1]

 なお、前述の改築計画とは別に、増加傾向にある児童数に対して教室が不足する見通しであることから、2021年度より増築工事を行なっている[2]
沿革

令和2年度学校要覧に基づく。

和暦年西暦年月出来事校長
明治37年19044東京市小石川第二尋常小学校として開校初代
明治39年19064尋常科11学級、高等科2学級|
明治41年19084東京市小日向台町尋常小学校と改称2代
大正2年191392年以上539名、新設青柳尋常小学校に移る|
大正3年19143ー3代
大正9年19204ー4代
大正10年19214ー5代
大正14年192542,3,4年児童90名、新設関口台町尋常小学校に移る|
大正15年19262ー6代
42,3,4,5年児童140名、新設窪町尋常小学校に移る|
昭和10年19352ー7代
昭和12年19373ー8代
昭和13年19383新設校舎竣工、コンクリート3階建|
昭和14年19394校歌制定|
昭和16年19414東京府東京市小日向台町国民学校と改称|
昭和19年19448宮城県鳴子温泉に児童集団疎開|
昭和20年19455空襲のため木造校舎全焼、鉄筋校舎1階及び古木(椎の木)焼失|
昭和21年19463ー9代
4黒田国民学校廃校により同校併合|
昭和22年19474東京都文京区立小日向台町小学校と改称|
昭和23年19489ー10代
昭和27年195210ー11代
昭和29年19543ー12代
昭和31年19565ー13代
昭和36年19612東京都研究協力校として道徳の研究発表|
4ー14代
昭和39年19644ー15代
7プール完成|
昭和41年19662文京区健康教育協力校として体育の研究発表|
昭和45年19702文京区教育研究協力校として教育相談の研究発表|
4文京区立小日向台町幼稚園を校地内に併設16代
昭和49年19744ー17代
昭和51年197611文京区研究協力校として社会科の研究発表|
昭和52年19774ー18代
昭和55年19804ー19代
昭和57年198212文京区研究協力校として体育科の研究発表|
昭和58年19834ー20代
昭和62年19871道徳教育研究発表会|
4ー21代
平成元年19894ー22代
平成5年19934ー23代
平成7年199511文京区研究協力校として体育科の研究発表|
平成10年19981体育館耐震工事落成式挙行|
4ー24代
平成12年20004ランチルーム開設|
平成13年200110文京区研究協力校として生活科・総合的な学習の研究発表|
平成14年20024ー25代
平成16年20048普通教室冷房工事|
11開校100周年記念式典挙行、サトウハチロー石碑建立(同窓会寄贈)|
平成17年20054コミュニケーションの教室「こひなた」開設|
平成18年20064ー26代
81階改装工事|
平成20年20082屋上改装工事|
12東京都人権尊重教育推進校として研究発表|


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