敷島型戦艦
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "敷島型戦艦" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2023年1月)

敷島型戦艦
竣工時の「敷島」
基本情報
艦種戦艦
運用者 大日本帝国海軍
建造期間1897年 - 1902年
就役期間1900年 - 1945年
同型艦敷島朝日初瀬三笠
建造数4隻
前級富士型戦艦
次級香取型戦艦
要目
常備排水量14,850トン
全長133.5 m
最大幅23.1 m
吃水8.31 m
主缶ベルヴィール式(ドイツ語版)石炭専焼水管缶 25基
主機直立型三段膨張式レシプロ機関 2基2軸推進
最大速力18.0ノット
航続距離10ノット/7,000海里
燃料石炭[要出典]
「敷島」:1,702トン
「初瀬」:1,900トン
「朝日」:1,549トン
「三笠」:1,643トン
乗員836名
兵装30.5cm(40口径)連装砲 2基
15.2cm(40口径)単装速射砲 14基
7.62cm(40口径)単装速射砲 20基
4.7cm(40口径)単装速射砲 12基
装甲舷側 229mm(水線最厚部)、102mm(艦首・艦尾)
甲板 102mm
主砲防盾 254mm(前盾)、203mm(側盾)、-mm(天蓋)
バーベット 356mm(甲板上部)、203mm(甲板下部)
副砲ケースメイト 152mm(最厚部)
司令塔 356mm(側盾)
テンプレートを表示

敷島型戦艦(しきしまがたせんかん、.mw-parser-output .lang-ja-serif{font-family:YuMincho,"Yu Mincho","ヒラギノ明朝","Noto Serif JP","Noto Sans CJK JP",serif}.mw-parser-output .lang-ja-sans{font-family:YuGothic,"Yu Gothic","ヒラギノ角ゴ","Noto Sans CJK JP",sans-serif}旧字体:敷󠄁島型戰艦)は日本海軍戦艦[1][注釈 1]。同型艦は「敷島」、「朝日」、「初瀬」、「三笠」の4隻。本型は日本海軍がロシア海軍に対抗するために、1896年度および1897年度海軍整備計画で建造を決定した。4隻とも日本がイギリスに発注し、同国で建造された[3]1900年から1902年にかけて竣工し、当時世界最大の戦艦であった。戦艦ドレッドノートが就役して弩級戦艦時代がはじまると[4]前弩級戦艦として扱われた[5]

なお副砲の配置と煙突の数の違いから「朝日」と「三笠」を準同型艦と分類したり[注釈 2]、4番艦「三笠」をネームシップとする場合もあった[注釈 3]
概要建造中の「初瀬」

本型はイギリス海軍のマジェスティック級戦艦(竣工1895年?1898年)の改良型であるが、いくつかの最新の技術が用いられた。

主砲と副砲は前級の富士型戦艦と同じ40口径30.5cm砲[注釈 4]と40口径15.2cm砲である。速力は18ktで富士型よりは若干低下している。「敷島」、「朝日」、「初瀬」の3隻の装甲にはマジェスティック級戦艦と同じハーヴェイ鋼(英語版)(ハーヴェイ・ニッケル鋼)が使われ、富士型の半分の装甲厚となり(防御力は強化)、また4番艦の「三笠」はカノーパス級戦艦と同じくクルップ鋼(クルップ・セメントクロム・ニッケル鋼)が使われ他の3隻に比べ防御力が強化されている。「敷島」と「初瀬」はほぼ同型で、煙突数などよく似ていて見分けが難しいが前部アンカーベッド部分の形状が微妙に違う事が写真で確認できる。
艦形について竣工時の「初瀬」

船体形状は典型的な平甲板型船体であり、凌波性を良くするために乾舷を高く取られている。艦首には未だ衝角(ラム)が付いている。主砲は前級に引き続き「アームストロング 1898年型 30.5cm(40口径)ライフル砲」を楔形の連装砲塔に収めて艦首甲板に1基、その背後に司令塔を下部に組み込み両脇に船橋(ブリッジ)を持つ操舵艦橋の背後に単脚式の中段部に見張り所を持つミリタリーマストが立つ。「敷島」と「初瀬」は船体中央部には等間隔に並んだ3本煙突が立つが、「朝日」と「三笠」は2本煙突であった。煙突の周囲には煙管型の通風筒が立ち並ぶ。その外縁部は艦載艇置き場となっており、舷側に2本で1組のボート・ダビットが片舷4組ずつ計8組と艦載艇置き場の後ろに立つ後部ミリタリーマストに付いたクレーン1基により運用された。副砲として15.2cm速射砲が舷側部に片舷7基ずつ計14基ケースメイト(砲郭)配置された。「敷島」と「初瀬」は上甲板に6基、中甲板に8基で、「朝日」と「三笠」は上甲板に4基、中甲板に10基で配置されている。その他に対水雷艇砲として7.6cm速射砲が単装砲架で艦上と舷側部の各所に20基、近接火器としてミリタリーマスト上に4.7cm単装機砲が単装砲架で8基が配置された。後部甲板上に後部艦橋が立ち、後向きの2番主砲塔の順である。

各艦の船体サイズの相違は以下の通り

艦名常備排水量全長全幅吃水乗員数
敷島14,850トン133.5m23.1m8.31m836名
初瀬15,000トン134.02m23.38m8.23m↑
朝日15,200トン129.62m22.92m8.31m↑
三笠15,140トン131.67m23.23m8.28m859名

武装
主砲「三笠」以外の砲塔の断面図。

主砲は「アームストロング 1898年型 30.5cm(40口径)砲」である。その性能は重量386sの砲弾を仰角15度で最大射程13,700mまで届かせられる性能を持っていた。これを新設計の砲塔に収めた。この砲塔は左右150度に旋回でき、砲塔の砲身は仰角15度・俯角5度の間で上下できた。砲弾の装填機構は固定角装填形式で、富士型と異なりバーベットは揚弾筒を内蔵しどの旋回角度でも毎分1発の間隔で発射できた。

「三笠」のみは揚弾機構が新型となり揚弾筒が上下に分かれた。これにより防御効果が高まり、装填角度が他の3隻では仰角15度だったものが5度になって発射速度は約2割ほど早くなった。
副砲、その他備砲、雷装

副砲として新設計「1895年型 15.2cm(40口径)速射砲」を採用した。その性能は45.4sの砲弾を仰角20度で最大射程9,140mまで届かせられる。この砲を単装砲架で14基配置した。砲架は砲身を仰角20度・俯角5度の間で上下でき、150度の旋回角度を持っていた。毎分5 - 7発の間隔で発射できた。

他に近接火器として「アームストロング7.6cm(40口径)速射砲」を採用している。その性能は1.5kgの砲弾を仰角40度で10,740mまで届かせられ、俯仰は仰角65度・俯角10度で発射速度は毎分15発だった。他に主砲では手に負えない相手への対抗として45.7cm魚雷発射管を水線下に片舷2門ずつの水中発射管と艦首水線部に水上発射管1門の計5門を装備したが、「三笠」は水上発射管を装備していない。
防御「敷島」と「初瀬」の武装・装甲配置を示した図。

本型から装甲板の材質がハーヴェイ・ニッケル鋼板へと更新されて防御力が向上した。防御方式は当時の主流としてボックスシタデルを採用しており、1番主砲塔から2番主砲塔にかけての水線部は装甲厚229mmで前後の水密隔壁は152mmから356mmで覆われた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:35 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef