整数論
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この項目では、数学の一分野としての「数論」について説明しています。「数論学派」とも呼ばれる古代インド哲学の学派については「サーンキヤ学派」をご覧ください。
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この記事は言葉を濁した曖昧な記述になっています。Wikipedia:言葉を濁さないおよびWikipedia:避けたい言葉を参考に修正してください。(2013年12月)

数論(すうろん、英語: number theory)は、、特に整数およびそれから派生する数の体系(代数体局所体など)の性質について研究する数学の一分野である。整数論とも言う。
概要

フェルマーの最終定理のように、数論のいくつかの問題については、他の数学の分野に比して問題そのものを理解するのは簡単である。しかし、使われる手法は多岐に渡り、また非常に高度であることが多い。
分野

通常代数学の一分野とみなされることが多い。おおむね次の四つに分けられる。
初等整数論
他の分野の数学的手法を使わずに問題に取り組む、数論の中で最も基礎的な土台をなす。フェルマーの小定理オイラーの定理平方剰余の相互法則などはこの分野の成果である。
代数的整数論
扱われる対象は整数というよりも代数的整数である。従って、代数的な整数論と読むよりも代数的整数の論と読む方が正しいと考えられる。ガウスの整数を研究したカール・フリードリヒ・ガウスがおそらくこの分野の創始者である。体論はこの分野の基礎的根幹であって、ガロア理論は(他の数学においてもそうだが)基本的な道具である。代数体のアーベル拡大の統制を記述する類体論も、この分野の大きな成果である。元来の岩澤理論もここに分類されよう。
解析的整数論
微積分複素関数論等の解析学的手法を用いて問題に取り組む。この分野は初めて解析的な手法を系統的に数論に応用したディリクレに始まるとされる。その弟子であるベルンハルト・リーマンによってすでにこの分野の(ひいては数論)の最大の未解決問題であるリーマン予想(1859年)が提示されたのは興味深い。素数定理の証明(1896年)はこの分野の一里塚である。ゼータ関数保型関数を研究するのもこの分野であって、超越数論とも関係が深い。
数論幾何学
整数論の問題を、代数幾何の手法で研究する、あるいは代数幾何の主対象である代数多様体(もっと広くスキーム)の整数論的な性質を研究する分野である。ディオファンタスによる研究(初等整数論の範疇)から考えても、その起源は古いが、現代的な意味での数論幾何学の始祖はアンドレ・ヴェイユ(合同ゼータ関数に関する研究、モーデル・ヴェイユの定理の証明のほか、任意の体上での代数幾何学の研究など)といえるだろう。1950年代後半以降のアレクサンドル・グロタンディークらによるスキーム論およびそれに関連する各種理論の発展により、爆発的な発展を遂げ、現在では数論の中核に位置しているといえる。
応用

かつて数論は純粋数学であり応用を持たなかったが、コンピュータの発展に伴い、幅広い分野に応用を持つようになった。
応用例

公開鍵暗号 - 暗号化と復号化を異なった鍵(数値)で行う方法。一つの鍵で復号化と暗号化を行う場合と比べ安全性と応用性が高まる。

固定ギア自転車のスキッドポイントの分散化 - 前後のギアの関係を互いに素にすると、スキッドポイントと呼ばれる摩耗点が最も分散化される(タイヤの寿命が向上する)。

数論への言及

ガウスは次のような言葉を残している:.mw-parser-output .bquote cite{font-style:normal}

数学は科学の女王であり、数論は数学の女王である
歴史「数論の年表」も参照
古代ギリシア

数論はヘレニズム後期(紀元3世紀)のギリシア人数学者らに最も好まれた研究対象で、エジプトアレクサンドリアで活動したアレクサンドリアのディオファントスは、自らの名が(後に)冠されたディオファントス方程式の様々な特殊ケースを研究したことで知られている。

ディオファントスはまた、線型不定方程式の整数解を求める方法について考察した。線型不定方程式とは、解の単一の離散集合を得るには情報が不足している方程式を指す。例えば、 x + y = 5 {\displaystyle x+y=5} という方程式は、x と y が整数だとしても解が無数に存在する。ディオファントスは多くの不定方程式について、具体的な解はわからなくとも解のカテゴリがわかっている形式に還元できることに気づいた。
インド

中世インドでも数学者らはディオファントス方程式を深く研究しており、線形ディオファントス方程式の整数解を求める体系的手法を初めて定式化した。アリヤバータは著作『アーリヤバティーヤ』(499年)の中で線型ディオファントス方程式 a y + b x = c {\displaystyle ay+bx=c} の整数解の求め方を初めて明確に記している。これを「クッタカ法」と呼び、ディオファントス方程式の解を連分数を使って表すもので、アリヤバータの純粋数学における最大の貢献とされている。アリヤバータはこの技法を応用し、重要な天文学上の問題に対応する連立線型ディオファントス方程式の整数解を求めるのに使った。彼はまた不定線型方程式の一般的解法も見つけている。

ブラーマグプタは著書『ブラーマ・スプタ・シッダーンタ』(628年)でさらに難しいディオファントス方程式を扱っている。彼が使ったのは、 61 x 2 + 1 = y 2 {\displaystyle 61x^{2}+1=y^{2}} のようなペル方程式に代表される二次のディオファントス方程式を解く「チャクラバーラ法」 (Chakravala method) である。この著書は773年にアラビア語に翻訳され、そこから1126年にラテン語に翻訳された。フランス人数学者ピエール・ド・フェルマーは1657年にこの方程式 61 x 2 + 1 = y 2 {\displaystyle 61x^{2}+1=y^{2}} を問題として提示している。この方程式そのものは70年以上後にレオンハルト・オイラーが解いたが、ペル方程式全般の解法が見つけたのはジョゼフ=ルイ・ラグランジュで、フェルマーが問題を提示してから100年以上たった1767年のことだった。一方それより何世紀も前の1150年、バースカラ2世がペル方程式の解法を記述している。彼はブラーマグプタのチャクラバーラ法を改良した解法を使っており、同じ技法を応用して不定二次方程式や二次ディオファントス方程式の一般解も見つけている。バースカラ2世のチャクラバーラ法によるペル方程式の解法は、600年後のラグランジュが使った手法より単純だった。バースカラ2世は他にも様々な二次/三次/四次など高次の不定多項方程式の解を求めている。このチャクラバーラ法をさらに発展させたのがナーラーヤナ・パンディトで、他の不定二次多項方程式や高次多項方程式の一般解を求めている。
中世イスラム

9世紀以降、アラビア数学は数論を熱心に研究するようになった。先駆者とされる数学者はサービト・イブン=クッラで、友愛数を求めるアルゴリズムを発見したことで知られている。友愛数とは、2つの異なる自然数の組で、自分自身を除いた約数の和が互いに他方と等しい。


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