敦賀市立博物館
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敦賀市立博物館
TSURUGA Municipal Museum


施設情報
前身敦賀市歴史民俗資料館
専門分野歴史・民俗
館長千葉雅人
事業主体敦賀市
建物設計永瀬・吉田建築事務所
延床面積1451.58 m2
開館1978年昭和53年)
所在地914-0062
福井県敦賀市相生町7-8
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分23.4秒 東経136度4分7.5秒 / 北緯35.656500度 東経136.068750度 / 35.656500; 136.068750座標: 北緯35度39分23.4秒 東経136度4分7.5秒 / 北緯35.656500度 東経136.068750度 / 35.656500; 136.068750
外部リンク敦賀市立博物館
プロジェクト:GLAM
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敦賀市立博物館(つるがしりつはくぶつかん)は、福井県敦賀市にある歴史民俗系の博物館1927年昭和2年)竣工の旧大和田銀行本店(国の重要文化財)を館施設として使用している。
歴史

1978年(昭和53年)8月、旧大和田銀行本店の建物内に敦賀市歴史民俗資料館が開館した。1993年平成5年)2月に博物館登録され、同年7月に敦賀市立博物館に改称した[1]

もともと博物館用に建てられた建築物ではないことから、展示スペースやバックヤードの確保などに問題を抱えており、1998年(平成10年)の「敦賀市立博物館検討委員会」による答申以来、新博物館の建設に向けての要望が市に対して上がっていた[1]2004年(平成16年)には「敦賀市新博物館建設検討委員会」が、旧大和田銀行建物の復原的活用と、新博物館建設をめざす委員会の設置をもとめる答申を市に提出した[1]。しかし「諸般の事情」から新博物館の建設構想は停滞しており[2]、旧大和田銀行本店の「復原的活用」が先行して進められることとなった[1][2]

2012年(平成24年)8月20日より建物修復のため長期休館に入り[3]、その間は隣接するみなとつるが山車会館で図録等の頒布を行っていた[3]。2015年(平成27年)7月に再開館した[3]
収蔵品・展示

常設展の展示物は敦賀にゆかりのある資料で、県内屈指のコレクションである近世・近代絵画300点超をはじめ、俳句・俳諧、郷土、歴史資料民俗資料、港湾関係など多岐にわたる。企画展、特別展も定期的に開催している。近世・近代絵画は、地元所縁の旧大名家や素封家のコレクションを引き継いだものではなく、博物館自身が時間をかけて収集していった作品群である。敦賀は京都文化の影響が強いことから、円山・四条派岸派、原派、土佐派、復古大和絵といった京都ゆかりの画派を中心に収集している。特に敦賀出身の内海吉堂ら内海三代や、実父が敦賀の馬借頭だった幸野楳嶺、敦賀と縁がある橋本長兵衛曾宮一念らの作品が多い[4]
建築

敦賀市立博物館
(旧大和田銀行本店)
情報
設計者
永瀬・吉田建築事務所[5]
施工清水組京都支店[5]
構造形式鉄骨造(一部鉄筋コンクリート造
延床面積1,451.58 m²
階数地上3階・地下1階[5]
着工1925年
竣工1927年[5]
所在地914-0062
福井県敦賀市相生町7-8
文化財重要文化財
指定・登録等日2017年2月23日[6]
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建築としての年表

1927年昭和2年):大和田銀行二代目本店建物が竣工。

1945年(昭和20年):大和田銀行が三和銀行に吸収合併。

1962年(昭和37年):三和銀行が撤退、福井銀行となる。

1977年(昭和52年):建物が敦賀市に寄贈される。

1978年(昭和53年):敦賀市歴史民俗資料館となる。

1993年平成5年):敦賀市指定文化財となる。敦賀市立博物館に改称。

2010年(平成22年):福井県指定文化財となる。

2012年(平成24年):復元的修復工事のため休館。収蔵庫棟が竣工。

2015年(平成27年):修復工事完了し、開館。

2017年(平成29年):国の重要文化財建造物)に指定[7][6]

出典 : 『旧大和田銀行本店建物(敦賀市立博物館)修復事業完了記念誌』[8]
建築としての歴史敦賀市立博物館の敷地内にある大和田荘七の銅像

大和田銀行本店として1925年大正14年)に着工し、1927年昭和2年)に竣工した[9]。建設費用として35万円が投じられた[9]鉄筋コンクリート(一部石造)・地上3階地下1階の建物には、当時の北陸地方では珍しかったエレベーターが備えられた[9]。この建物は銀行としての業務スペースのほか、公共スペースも併せ持っており[1]、地下はレストランとして、屋上部はビアガーデンとして開放されていた[9]。また3階には舞台を備えた集会場があり[5]、公会堂としても利用されていた[1]。これには、地域の経済発展とともに文化的な充実・発展を目指した創業者大和田荘七の思想が反映されていると評価されている[1]

第二次世界大戦末期の敦賀は、1945年(昭和20年)7月12日敦賀大空襲[10]をはじめ数度の空襲を受けたが、この建物は戦災を免れた[9]


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