教養主義(きょうようしゅぎ)とは、教養を積むことが良いとする生き方、考え方。 どのような教養を積むことが良いかの考え方はさまざまであり、それぞれに賛否両論がある。その分類としては、次のようなものがある[1]。 まず、教養の捉え方として、知識の量と知識の領域[注釈 1]に着目すると、次の2つがある。 他方、教養の捉え方として、知識の質と知識への態度に着目すると、次の2つがある。 他方、教養の捉え方として、人間と社会との関係に着目すると、次の2つがある。 教養主義には、これら6つの教養をそれぞれ第一と考える6つの考え方がある。 これらのうち、A1の習得を第一とする立場はあれもこれもと学問、芸術、生活知識などを漁る生き方であり、いわば俗界教養主義と言うべきものである。A2の習得を第一とする立場はリベラル・アーツ主義とも言うべきものである。この場合はB1をも尊重することにつながりやすい。 B1の習得を第一とする立場は人文主義[注釈 5]であり、科学主義[注釈 6]とは対照的立場にある。この場合、学問を第一とすれば、それは主知主義[注釈 7]であり、学問主義(的生活)であって、芸術主義(的生活)や宗教主義(的生活)とは対照的である。B2の習得を第一とする立場は人格主義[注釈 8]である。Bの2つの立場は思想上の教養主義であり、従来とかく問題となってきたのはこの教養主義である。Bの2つの思想は哲学的には理想主義 (アイディアリズム)[注釈 9]、人格主義の立場とつながっていて、哲学を重視する立場でもある。 C群の主張は最近[いつ?]出てきたものである。C1は、自己実現や積極的自由を求めるものだと言える[3]。C2の例としては、教養を市民的器量およびそのための自己形成だと定義する立場がある[4]。 西洋ではA2とB1を尊重するリベラル・アーツ主義が根強い。A2の他の要素であるレトリック、ヒューマニズム的伝統もある。リベラル・アーツ教育を専門とする大学も多数ある。また、A2の要素であるギリシア語、ラテン語は長い間、伝統ある大学での必須科目であり、知識人の必須とされてきた。 他方、B1、B2を尊重する文芸上の動きはドイツの「教養小説」[注釈 10]に現れている。ヴォルフガング・ゲーテ『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』(1795年、1796年)がその代表である。その立場を評論で著したものには、ヴィルヘルム・フォン・フンボルト『国家活動限界論』(1851年)など数編、ジョン・スチュアート・ミル『自由論』(1859年)、マシュー・アーノルド『教養と無秩序』(1869年)がある。
教養主義の定義
教養の定義A群
(A1) 教養とは「その集団人としての常識より少し上の知識、たしなみ」である。
(A2) 教養とは「大学教育における専門知識に対する基礎・関連の知識」である。
教養の定義B群
(B1) 教養とは「古典を尊び、学問する生き方を大切にすること[注釈 2]」である。
(B2) 教養とは「学問などを通して人格形成
教養の定義C群
(C1) 教養とは「自分らしく生きるために、世間に働きかけ、それを変えていく知恵・能力」である。これには数種の変種がある[注釈 3]。
(C2) 教養とは「共同体を円滑にするために政治的行動すること」である[注釈 4]。
六つの教養主義
西洋の教養主義
リベラル・アーツ主義
人格主義的教養主義
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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