この項目では、一般的な概念としての教育について説明しています。その他の用法については「教育 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
マダガスカルでの初等教育の風景FIRST Robotics Competitionにおける学生徒弟
教育(きょういく、英語: education)という語は多義的に使用されており[1]、以下のような意味がありうる。 漢語としての「教育」は、『孟子』に「得天下英才、而教育之、三楽也」(天下の英才を得て、而して之を教育するは、三の楽しみなり)とあるのが初めである。 語源・語義からの定義の例を挙げると、「英語: education」や「フランス語: education」は、ラテン語: ducere(連れ出す・外に導き出す)という語に由来することから、「教育とは、人の持つ諸能力を引き出すこと」とする。 リチャード・ピーターズ
教え育てること[1]。
知識、技術などを教え授けること[1]。
人を導いて善良な人間とすること[1]l。
人間に内在する素質、能力を発展させ、これを助長する作用[1]。
人間を望ましい姿に変化させ、価値を実現させる活動[1]。
定義
語源・語義からの定義
リチャード・ピーターズの定義
高等動物では教育またはしつけに近い行動が見られる例があり、猫などの肉食獣では子供に狩りの練習をさせるために弱らせた獲物をあてがう。以下では、人間社会における教育について述べる。
歴史最古の大学ともされるボローニャ大学での講義風景詳細は「教育史」、「西洋教育史」、および「日本教育史」を参照
教育に関する歴史を教育史と呼ぶ。家庭教育や社会教育も念頭に置けば、教育は人類の有史以来存在してきたものと考えることができる[註 1]。
制度化された教育について、西洋では古代ギリシアまで遡ることが一般的である。高等教育機関は古代より世界各地に存在してきたが、現代の大学につながる高等教育機関が成立したのはヨーロッパの中世においてであって、11世紀末にはイタリアのボローニャでボローニャ大学が成立していたという。近代教育につながる教育学の祖形は、17世紀にコメニウスによって作られた。18世紀に入るとジャン=ジャック・ルソーが「エミール」を著し、この影響を受けたヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチによって学校教育の方法論が確立された。またペスタロッチは主に初等教育分野に貢献したのに対し、彼の影響を受けたフリードリヒ・フレーベルは幼児教育に、ヨハン・フリードリヒ・ヘルバルトは高等教育に大きな足跡を残した。19世紀に入ると産業革命以降の労働者の必要性から、民衆に対する教育の必要性が強く叫ばれるようになり、多くの国で公教育が導入され、初等教育については義務化される国が現れ始めた。この義務教育化の流れは産業化された国々を中心に広がっていったものの、多くの国で国民に対する一般教育が公教育として施行されるようになったのは、20世紀に入ってからである。また、特にヨーロッパや南アメリカのカトリック圏諸国においては、初等教育を国家ではなく教会が担うべきとの意見が根強く、19世紀における主要な政治の争点のひとつとなった。この論争は20世紀に入るころにはほとんど国家側の勝利となり、ほとんどの国で初等教育は基本的に国家が担うものとなっていった。第二次世界大戦後に独立したアジアやアフリカの新独立国においても教育は重視され、各国政府は積極的に学校を建設し、教育を行っていった。これにより、世界の識字率は20世紀を通じて上昇を続け、より多くの人々に公教育が与えられるようになっていった。
文献上で確認できる日本で初めて作られた教育制度は、701年の大宝律令である。その後も貴族や武士を教育する場が存在し、江戸時代に入ると一般庶民が学ぶ寺子屋が設けられるようになった。初等教育から高等教育までの近代的な学校制度が確立するのは明治時代である。第二次世界大戦後の教育は、日本国憲法と教育基本法に基づいている。
教育の理論
教育学詳細は「教育学」を参照