教育バウチャー
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教育バウチャー(きょういくバウチャー、: school voucher, education voucher)は、私立学校の学費など、学校教育に使用目的を限定した「クーポン」を子供や保護者に直接支給することで、子供が私立学校に通う家庭の学費負担を軽減するとともに、学校選択の幅を広げることで、学校間の競争により学校教育の質全体を引き上げようという私学補助金政策。

ちなみに、学校選択制 (School choice)という言葉は日本では公立学校学区の緩和を意味するが、国際的にはバウチャーの支給によって私立学校への選択を容易にさせるという政策も含めた文脈で使われることが多い。

近年、日本においては学校教育だけでなく、塾、予備校、習い事、文化活動、スポーツ活動などに利用可能な学校外教育バウチャーの取り組みも行われている。
概説

教育バウチャーは、特にアメリカ合衆国で従来地域の教育をほぼ独占的におこなってきた公立学校の質の低下に対する懸念から1950年代に提案され、1990年代に入ってから大きな議論になってきた教育政策である。

教育バウチャー政策を支持する側は、バウチャーの配布により私立学校が受け入れた生徒の数に応じて補助金額が決定されることになり、学校はより多くの生徒を集められるよう質の向上を図るはずだと主張する。また、バウチャーの金額を公立学校における生徒一人当たりの支出額に近い金額にして公私間の補助金面での条件を対等化することにより、学校間の競争を促して私立だけでなく公立学校の質も向上させることができるという考えである。したがって、バウチャー政策は子どもが私立に行く場合だけに支給するのではなくすべての子どもに支給する。そのうえで、公立校の運営資金も在籍生徒のバウチャーから捻出するようすることで、公的教育財政自体をその根本から変えることも可能である。しかし、教育バウチャーに反対する側は、バウチャーの配布は私立学校のエリート化を加速し、学校間の階層格差を拡大するだけだとしている。

実際の運用にはクーポン券を直接家庭にくばる必要はなく、また補助金額を単純に個々の生徒に比例させる必要もない。何らかのかたちで学校への補助金の大部分が生徒数に応じて決定されるようなメカニズムを導入すればそれがバウチャー政策となる。
バウチャー論争の歴史 -1990年

教育バウチャーはトマス・ペインが『人間の権利』 (1792年)のなかで子どもを学校に行かせることを条件とした補助金を提案しているのが学問的な起源とされる。ペインの提案は「クーポン券」ではないが、補助金を受け取る条件として子供を学校に送ることとされているためバウチャーとして機能する。ペインは補助金により地方でも私的教育機関が自発的に供給されるはずだと洞察している。

バウチャーという言葉を使って学校教育における競争の重要性を初めて明確に主張したのはミルトン・フリードマンである。彼は1955年に発表した"Role of Government in Education"(『教育における政府の役割』)という論文(『資本主義と自由』に再録)のなかで、米国の公立学校は非効率かつ低質で、その原因は公立学校が教育を無料で独占的に提供しているからであるとした。そして、教育の質を高めるために政府の検査や管理を強めるのではなく、市場メカニズムをもちいることを提案した。政教分離を定める連邦憲法に制限されて政府の補助金を得られなかった私立学校にもバウチャー(=クーポン)の形で生徒の数に応じた補助をすべきこと、その金額は公立学校の平均的費用に相当すべきこと、公立学校の予算も生徒の数を反映して決められるべきであること等を主張した。フリードマンの主張は補助を与える対象を特に限定しなかったので、のちに「制約のないバウチャー」と呼ばれるようになった。

その後、クリストファー・ジェンクスらはフリードマンの主張を踏まえながら「修正されたバウチャー」を提案した。その特徴は、バウチャーの金額は貧困家庭の子供に多くする、入学希望者が多すぎる学校は抽選で生徒を選抜する、学校は一定比率のマイノリティを受け入れ、スクールバスなどの通学手段を提供するなどである。これは「制約のあるバウチャー」とも呼ばれる。

米国における最初のバウチャー政策はカリフォルニア州アラムロック)学区 (Alum Rock) において1970年代におこなわれた実験だといわれる。この特徴は、

私立学校の参加はなかった。 

一つの学区のなかにいくつもの「ミニ学校」がつくられ生徒はそれを自由に選択した。

生徒の集まり方で教師の職が失われることはなかった。

などである。この実験は中途半端な教育バウチャー政策とされ、バウチャーに対する失望を生んだといわれる。
各国の教育バウチャー政策
米国
ウィスコンシン州ミルウォーキー市 1990年-

米国最初の公的な私立学校バウチャー政策は1990年ウィスコンシン州ミルウォーキーで実施された。対象は公立小学校に通っている(あるいは通う予定の)低所得家庭の子どもである。バウチャーを受け取る資格のある私立学校は、宗教系ではなく、市が定める最低限の基準を満たし、学費は無料で、生徒の選抜を抽選で行う必要がある。この政策は研究者の間で評価が大きくわかれている。

ある研究グループ(ピーターソンら)は、バウチャーによって公立から私立に移籍した子供は、3、4年後に数学・読解能力が向上したという。一方、どの科目にもバウチャーの効果は認められないとする研究(ヴィット)、数学についてわずかな向上があるが読解には向上がみられなかったという研究(ロウズ)もある。
オハイオ州クリーブランド市 1995年-

オハイオ州クリーブランド1995年に米国2番目となる私立学校バウチャー政策を導入した。当初は幼稚園から小学3年生までが対象であったが、最近では高校生まで対象に含まれるようになった。この政策の特徴は、受取額に差はあるものの、所得に関係なくバウチャーを受け取ることができること、私立にすでに在籍している生徒も対象となること、宗教系学校もバウチャーの受け入れが可能であること、学校は一定の制限の中で親に学費を請求できることなどである。

具体的には、一定所得以下の家庭の子どもには最大2250ドル(学費の90%まで)、それ以上の所得の場合は1875ドル(学費の75%まで)を支給するとした。2004年現在のバウチャー最高金額は3000ドルである。ピーターソンらの研究によると、バウチャー校に通う生徒の数学と読解能力は向上したという。また、バウチャーで私立学校に行った生徒の親はそうでない親よりも満足度が高い。一方、毎年公式の評価を行っているインディアナ大学のグループは、公立と比べた場合、社会科と言語についてバウチャー学校により大きな成績向上がみられるが、数学ではバウチャー学校が劣るとしている。

この実験は宗教団体に対する政府補助とみなされ、政教分離を定めた従来の連邦裁の見解に反するとして訴訟に持ち込まれた。


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