教会派(きょうかいは)は、日本基督教団においてキリスト教会の役割を重要視し、政治的・社会的運動よりも、教会が救世主イエス・キリストの十字架と復活によって示された神の愛による人間の罪からの救いを生活、態度、言葉によって伝える伝道によって社会に積極的に出て行くことを優先させることが教会の使命であると認める教会、関係者を指す。社会派(造反派、問題提起者)に対応して登場した用語である。東京神学大学、山北宣久が代表的である。
1970年に日本万国博覧会(大阪万博)に出展された、万博キリスト教館を巡って、それに反対する社会派と推進する教会派の対立が起こった。日本キリスト教協議会(NCC)議長大村勇と東神大教授の北森嘉蔵が、推進派であった。東京神学大学では、万博反対派の学生たちが、東京神学大学全学共闘会議を組織し、教会派の東神大教授会は機動隊を投入して社会派の学生を排除した[1][2][3][4]。
小林貞夫
[5]は、日本基督教団福音主義教会連合や、小島誠志、山北宣久を教団議長に推薦した一派を教会派と呼んでいる。伝道を教会勢拡大主義として非難した社会派に対して伝道派とも呼ばれる。山北宣久、藤掛順一ら教会派は、日本基督教団の教憲・教規を重視し、フリー聖餐を行う日本基督教団紅葉坂教会の北村慈郎に対する戒規を求めているため、教憲・教規派とも呼ばれている[6][7]。
日本基督教団で教会派といわれている団体・牧師
東京神学大学
福音主義教会連合
山北宣久
藤掛順一
脚注^ 土肥昭夫『歴史の証言-日本プロテスタントキリスト教史』教文館
^ 『日本キリスト教宣教史』いのちのことば社
^ 東京神学大学全学共闘会議『死せる言葉の終焉-東神大闘争の記録』
^ 東京神学大学教授会『東神大紛争記録』
^ (日本基督教団常議員、福音主義教会連合常任委員)
^ ⇒日本基督教団(日本キリスト教団)資料[リンク切れ]
^ ⇒K教師に対する「戒規申し立て」に憂慮する有志の会
富田満(1941年-1946年廃止)
総会議長
初代: 阿部義宗 - 第2代: 真鍋頼一 - 第3代: 小崎道雄 - 第4代: 武藤健 - 第5代: 白井慶吉 - 第6代: 大村勇 - 第7代: 鈴木正久 - 第8代: 飯清 - 第9代: 吉田満穂 - 第10代: 戸田伊助 - 第11代: 後宮俊夫 - 第12代: 辻宣道 - 第13代: 原忠和 - 第14代: 小島誠志 - 第15代: 山北宣久 - 第16代: 石橋秀雄 - 第17代: 雲然俊美
教団内グループ
日本基督教団改革長老教会協議会 - 日本基督教団全国連合長老会 - 日本基督教団新生会 - 同信会 - 更新伝道会 - ホーリネスの群 - FM会 - 日本基督教団聖霊刷新協議会 - マケドニア会
教団立・教団認可神学校
東京神学大学 - 同志社大学神学部 - 関西学院大学神学部 - 日本聖書神学校 - 農村伝道神学校 - 東京聖書学校
教団内組織
日本基督教団讃美歌委員会 - 日本基督教団出版局
キリスト教主義学校
青山學院 - 青山学院大学 - 桜美林 - 桜美林大学 - 関西學院 - 啓明學院 - 敬和学園高等学校 - 学校法人聖学院 - 聖学院大学 - 千葉英和高等学校 - 同志社 - 東北学院 - 東北学院大学 - 広島女學院 - 広島女学院大学 - 福岡女學院 - 福岡女学院大学