救国軍事会議(ポーランド語:Wojskowa Rada Ocalenia Narodowego、略称:WRON)は、ポーランド人民共和国において、1981年から1983年の戒厳令下で、ポーランドを統治した機関である。1981年12月12日の夜に発足し、1983年7月23日に解散した。ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ将軍に率いられた救国軍事会議は、憲法上の規定のない性質のもので[1]、軍事政権としての特徴を持っている。憤慨した人々は、この機関をカラス[注 1]と呼んだ。あるいは、第二次大戦中のドイツの国章である黒い鷲を、やはりカラスと呼んでいたことを連想する者もいた。また、救国軍事会議をからかった歌が連帯のメンバーによりつくられた。例えば、「緑のカラス」(緑は軍服や戦闘服を連想させるから)、「カラスが鳴いて、それが何」というものがある。
2006年、救国軍事会議のメンバーは、暴力的犯罪集団を率いたという理由で、共産主義犯罪の罪で国家記銘院の検察官に告発された。 (階級役職は当時のもの) 戒厳令中に救国軍事会議をからかったユーモア、標語、歌など。
救国軍事会議メンバー
ヴォイチェフ・ヤルゼルスキ元帥 - ポーランド統一労働者党第一書記、ポーランド人民共和国首相、国防大臣
ルドヴィク・ヤンチシン提督 - 海軍司令官
エウゲニウシュ・モルチク大将 - 教育総監、国防副大臣
フロリアン・シヴィツキ大将 - ポーランド軍参謀本部参謀長、国防副大臣
タデウシュ・トゥチャプスキ大将 - 国土防衛監察総監、国防副大臣
ユゼフ・バルィワ中将 - ポーランド軍政治本部長、国防副大臣
タデウシュ・フパウォフスキ中将 - 総務・農業・環境大臣
チェスワフ・キシュチャク中将 - 内務大臣
タデウシュ・クレプスキ中将 - 航空軍司令官
ロンギン・ウォゾヴィツキ中将 - 防空軍司令官
ヴウォジミェシュ・オリヴァ中将 - ワルシャワ軍管区司令官
チェスワフ・ピョトロフスキ中将 - 石炭・エネルギー大臣
ヘンルィク・ラパツェヴィチュ中将 - シュロンスク軍管区司令官
ユゼフ・ウジツキ中将 - ポモルスキ軍管区司令官
ジグムント・ジェリンスキ中将 - 救国軍事会議書記、国防省人事部長
ミハウ・ヤニシェフスキ少将 - 閣僚会議議長
イェジ・ヤロシュ少将 - 第一ワルシャワ機械化師団長
タデウシュ・マカレヴィチュ大佐
カジミェシュ・ガルバチク大佐
ロマン・レシ大佐
ミロスワフ・ヘルマシェフスキ中佐[注 2]
イェジ・ヴウォシンスキ中佐
標語など
カラスはワシを負かすことはできない!(Or?a wrona nie pokona!:白いワシがポーランドの象徴であることから)
ヴロン-ドン川の向こうへ消えよ!(Wron - won za Don!:ここでは、ドン川はソ連を象徴している)
カラスが鳴いて、それが何
カラスは我々を負かすことはできない (WRONa nas nie pokona!)
カラスは死ぬ ("WRONa skona") - 1981年12月13日付けのバウティク紙に音楽に関するコラムが掲載された。そのコラムの各パラグラフの先頭の文字を並べると、"WRONA SKONA" となるものであった。
12月13日、記憶に残るその年に、黒い卵が孵ってカラスが生まれた・・・(歌の歌詞)
パーチが驚いたことには、ナニが大きくなってカラスになった(Zdziwi?y si? OKON-ie ?e PRON-cie wyros?o WRON-ie!:OKON、PRON とも戒厳令下で発足した組織の名[注 3])
もしカラスの中に混じったら、同志、君は赤くなれ(カラスの中に混じったらカラスのように鳴け - 郷に入れば郷に従え - のパロディ)
救国軍事会議を率いたヴォイチェフ・ヤルゼルスキ将軍は黒いサングラスを掛けていた。そのため、「目の見えない奴」、「シレポヴロン