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救世軍
救世軍日本本営
創立者ウィリアム・ブース
団体種類包括宗教法人[1]
設立1865年
所在地東京都千代田区神田神保町2-17[1]
法人番号2010005000538
主要人物スティーブン・モーリス(日本司令官)[2]
活動地域全世界
従業員数約1,650,000人
ウェブサイト ⇒http://www.salvationarmy.org/
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救世軍(きゅうせいぐん、英: The Salvation Army)は、キリスト教プロテスタントの一派、および慈善団体。
世界133の国と地域[3]で伝道事業(宗教活動)、社会福祉事業、教育事業、医療事業を推進する。軍隊を模した組織が特徴で、クリスマスを中心とした年末に行われる募金活動「社会鍋」で有名。日本では1895年(明治28年)に伝来し、日本福音同盟に加盟している。
英語の「The Salvation Army」を「救世軍」と日本語に翻訳したのは尾崎行雄である[4]。
プロテスタント諸派の一つでありながら、「小隊」と称する分教会を各地に持つ。
概要創立者ウィリアム・ブース
救世軍は、1865年にイギリスのメソジスト教会の牧師、ウィリアム・ブースと妻キャサリンによって、ロンドン東部の貧しい労働者階級に伝道するために設立された。
設立当初は「キリスト教伝道会」(東ロンドン伝道会)と称する超教派の伝道団体だったが、当時は教会が上流・中産階級のサロン的な場所となっており、庶民を教会に導いても伝道者や会員が受け入れに熱心ではなかった。そこで、「身分階級によらず、実績のみで評価される組織」として軍隊式の組織編制、メンバーの制服・制帽・階級章類の着用、軍隊用語の使用などを採用し、1878年に「救世軍」と改称した。改称に当たってウィリアムは「義勇軍に非ず、救いの軍なり(Not volunteer army, but Salvation army.)」という天啓を受けたという[5]。1880年代に爆発的に教勢が伸張し、ブリテン諸島から海外に拡大した。改称に伴い、教理もメソジスト・ホーリネス色が濃いものとなっていく。
現在、救世軍は国際連合経済社会理事会 (ECOSOC) において1947年以降、特別協議資格を持つ国連NGOである。米国経済専門誌『フォーブス』の1997年8月11日号ではピーター・ドラッカーから「全米で最も効率の高い組織」として評価され、1991年と2004年にはノーベル平和賞候補に挙げられた。世界福音同盟の加盟団体でもあり、世界メソジスト会議(英語版)および世界教会協議会とも非加盟の提携関係にある。
全世界で1万2千ヵ所近くの社会福祉施設、教育機関、医療施設を運営している。
救世軍の軍旗「血と火」は「救いと聖潔(きよめ)」を意味し、救世軍のモットーでもある。 救世軍
日本
The Salvation Army種類宗教法人・社会福祉法人
本社所在地101-0051
東京都千代田区神田神保町二丁目17番地
神田神保町ビル(日本本営)
設立1912年(明治45年)1月19日(財団法人)
1895年(明治28年)9月22日(任意団体)
業種宗教、社会福祉、教育、医療
法人番号2010005000538
事業内容宗教活動、社会福祉事業、教育事業、医療事業
代表者大佐 スティーブン・モーリス(日本軍国司令官)
大将 ブライアン・ペドル(万国総督)
従業員数654名<https://www.salvationarmy.or.jp/about-org>
関係する人物山室軍平(日本人初の士官、日本軍国司令官)
ウィリアム・ブース(創立者)
外部リンク ⇒http://www.salvationarmy.or.jp/
特記事項:軍隊を模した組織で活動を行っている
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日本人初の日本軍国司令官となった山室軍平
ウィリアム・ブースが1890年に著した『最暗黒の英国とその出路(In Darkest England and the Way Out)』は日本でも早くから知られ、片山潜や安部磯雄がこの書を手引きとして救世軍事業を視察したほか[6]、1891年には植村正久がロンドンの救世軍本営を訪れてブースと面会した[7]。また、慈善事業家の石井十次は濃尾地震に際して「東洋救世軍」なる団体を組織して救護活動を行っている[8]。
救世軍の側でも1890年ごろから日本伝道を検討し、資金面・人材面での見通しが立った1895年7月にエドワード・ライト大佐以下14名を日本に派遣した。彼らは9月4日に和服姿で横浜港に上陸し、同月22日に東京神田の基督教青年会館で宣戦式を行った[9]。その直後に入隊した山室軍平らにより大規模な伝道活動が行われ、廃娼運動を皮切りに、現在では医療施設や社会福祉施設の運営、他国の救世軍と連携しての内外の災害発生時の支援活動なども行っている。
他に著名な信徒・元信徒としては、自由民権運動家の村松愛蔵・落合寅市、ルーテル教会牧師の川瀬徳太郎(妻は板垣退助の孫[10])、元組合派牧師金森通倫(政治家の石破茂の曽祖父)、婦人民主クラブ呼びかけ人山室民子(軍平の長女)、聖書神学者渡辺善太、ヤマト運輸元社長小倉昌男、日本聖書協会副理事長朝野洋(救世軍中将、元日本軍国司令官)、伊藤富士雄(廃娼運動活動家・伊藤文學の祖父[11][12][13][14])、軍平の長男山室武甫およびその妻で作家の阿部光子、学校法人桜美林学園初代学園長清水郁子[注釈 1]らがいる。