救世忍者乱丸
2022.08.08撮影
プロフィール
リングネーム救世忍者乱丸
本名非公開
ニックネームコミカルくノ一
身長不明
体重不明
誕生日不明
出身地兵庫県尼崎市[1]
所属フリー
スポーツ歴空手
トレーナーアニマル浜口
ジャガー横田
デビュー1999年10月6日
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救世忍者乱丸(きゅうせいにんじゃらんまる、生年月日不明 - )は、日本の女子プロレスラー。
義眼を隠すため覆面レスラーとして活動しているが自身の生い立ちをテーマにした講演会は素顔で行っている。 3歳のときに「網膜芽細胞腫」に罹り片目を摘出、以来、義眼を付けている[2]。 空手師範だった父の影響で空手を習い始める。その後国際武道大学へ進学[3]。大学在学中世界大会へ出場[2]。 大学3年でプロレス入りを目指し、オーディションを受けるも不合格だったが、アニマル浜口レスリング道場に通い、あるプロレス団体のオーディション合格を果たす[2]。 義眼を隠すため覆面レスラーとして某団体で活動するも、マスクを外してリングに上げられたり丸坊主にされるなど惨めな目に合わされリングから退いた[2]。その後、ジャガー横田からの電話がきっかけとなり、吉本女子プロレスJd'より「救世忍者乱丸」として再デビューを果たす[2]。 2011年より乱丸が行っている自主興行。2022年現在、35回行っている。 初回から大阪を中心に行われているが、2014年に行われた第9回は新木場1stRINGで開催し、東京初進出を果たした。近年は大阪の176BOXで興行が行われていることが多い。 「世界一オモロいプロレスの大会」を謳っており、英語禁止マッチ[6]や小芝居マッチ[7]といったコミカルかつバラエティ豊かな試合が多い。 黎明期はハイビスカスみぃと乱丸のタッグである「なにわ☆凡女美ィーナス」がレジェンド選手や男子選手と戦う試合がメインイベントになることが多かった。また、男盛対女子選手の試合も多かった。 多くの選手が出場した経験があり、菊タローや松山勘十郎、広田さくらといった、コミカルマッチを得意とする選手は勿論、栗原あゆみや華名、志田光などのその当時の女子プロレスのエース級の選手だけでなく、師匠であるジャガー横田をはじめ、井上貴子、豊田真奈美など、女子プロレスのレジェンドも参戦した経験も持ち、新崎人生や越中詩郎などの有名な男子選手も参戦した事がある。 2016年9月に行われた16回大会において、志田光、朱里と共に乱丸がアイドルユニット「ピンキーミルキー」を結成[8]。2022年現在も3人の交流は続いている[9]。なお、メンバーは流動的で、タッグパートナーのハイビスカスみぃをはじめ、小波[10]やアクトレスガールズの面々[11]が歌ったこともあった。 2021年3月からは過去の大会を順次YouTubeにて公開している。
経歴
1999年
10月6日、神奈川・クラブチッタ川崎において、対ファング鈴木、遠藤紗矢組戦でデビュー。デビュー戦のパートナーはCooga。
2004年
4月29日、東京・後楽園ホールにおいて、第21代TWF世界タッグ王者になる。
2005年
8月14日、J'dスターを退団しフリーランスとなる。
2006年
急速進行性糸球体腎炎を患い、緊急入院[4]する。プロレスラーとしての復帰は絶望と医師から診断されるも、少しずつ軽いトレーニングを積み重ねていく。
2008年
5月、東京・ディファ有明において、ジャガー横田・ライオネス飛鳥の興行で復帰戦。復帰以降は大阪プロレスに参戦するようになる。
2010年
6月27日、大阪プロレスお笑い選手権でくいしんぼう仮面を破り王者となる。
2011年
2月25日、自主興行「乱丸フェスタ」を初開催。
2014年
アイスリボン初参戦。当時アイスリボン所属の志田光をコミカルの道へ引きずり込もうとする。
2022年
大阪に「ばーらんまる」を開店[5]。営業中は本人はお酒を飲まないルールを適用している。
乱丸フェスタ
得意技
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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