故郷_(唱歌)
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「故郷」
楽曲
規格学校唱歌として出版
作詞者高野辰之
作曲者岡野貞一
長野県中野市の高野辰之記念館にある歌碑鳥取県鳥取市久松公園入口にある歌碑

故郷(ふるさと[1])は、高野辰之作詞岡野貞一作曲による文部省唱歌
誕生

1914年大正3年)の尋常小学唱歌の第六学年用(第5曲)で発表された。作詞者や作曲者は文部省が当時公表しなかったが、1960年代に判明した[1]1992年平成4年)からは音楽の教科書に両名の作と明記されている[2]。高野の出身地である長野県中野市と、岡野の出身地鳥取県鳥取市に歌碑がある。
歌詞
引用
兎(うさぎ)追(お)いし彼(か)の山(やま)
小鮒(こぶな)釣(つ)りし彼(か)の川(かは)
夢(ゆめ)は今(いま)も巡(めぐ)りて
忘(わす)れ難(がた)き故郷(ふるさと)

如何(いか)にいます父母(ちちはは)
恙無(つつがな)しや友(とも)がき
雨(あめ)に風(かぜ)につけても
思(おも)ひ出(い)づる故郷(ふるさと)

志(こころざし)を果(は)たして
いつの日(ひ)にか歸(かえ)らん
山(やま)は青(あお)き故郷(ふるさと)
水(みず)は清(きよ)き故郷(ふるさと)

解釈

子供の頃の野山の風景を遠い地から懐かしむという内容で、生まれ故郷から離れて学問や勤労に励む人の心情を歌っている。高野の故郷は、現在は中野市豊田地区になっている旧永江村で、里山の光景が広がっており、歌詞に述べられている「かの山」はその故郷にある熊坂山や大持山(だいもちやま)、大平山(おおひらやま)、また「かの川」は斑(はん)川であるとする説がある[1][3]。生前の高野はモチーフを明言しなかったが、国文学研究のため26歳で師範学校教員を辞して上京した人生や、これらの山々では冬の食料として野兎狩りが行なわれていたことは歌詞と重なる[1]
野兎を追ったあの山や、小を釣ったあの川よ。今なおに思い、心巡る忘れられない故郷よ。

父や母はどうしておいでだろうか(「います」は「居る」の丁寧形ではなく、古語の尊敬語「坐す」なので、「ゐます」とはしない)、友人たちは変わりなく平穏に暮らしているだろうか。風雨(艱難辛苦の比喩とも)のたびに、思い出す故郷よ。

自分の夢を叶えて目標を成就させたら、いつの日にか故郷へ帰ろう。山青く水清らかな故郷へ。

歌唱

同じ作詞作曲者の手による『朧月夜』『春の小川』等と共に、文部省唱歌を代表する曲として今日も歌われている。

原調はト長調で、拍子は4分の3拍子である。お使いのブラウザーでは、音声再生がサポートされていません。音声ファイルをダウンロードをお試しください。
一覧

北朝鮮による日本人拉致事件の支援者団体(救う会など)が開催する集会では、集会の最後に日本人拉致被害者の早期日本帰国を願って、参加者全員で故郷を歌唱することが通例となっている。

北朝鮮向け短波放送しおかぜ」では、インターバル・シグナルや放送開始時等のBGMに利用している。

グレッグ・アーウィンによる英訳詞「My Country Home」が存在し、アーウィン自身の歌唱により1997年4月21日発売のアルバム『ハッピー・チャイルド!?英語でうたおう こどものうた みんなのうた?』、1999年発売のアルバム『英語でうたう日本の童謡2』(共にビクターエンタテインメントから発売)に収録された。

1997年1月、「3か月英会話」(NHK教育)中の企画「日本文化ふるさと便」で、英語版がグレッグ・アーウィンにより歌われた。

1995年7月の第17回参議院議員通常選挙比例区政見放送において、日本福祉党の東三元代表が日本手話混じりで独唱したが、候補者全員落選した(得票率1.03%)。

1998年2月の長野オリンピック閉会式では、杏里をメインボーカルに、会場全体で合唱した。ショー向けに、曲の最後が高音で終わるよう編曲されていた。

2005年に、株式会社日本香堂のCMソングとして、里アンナがカバー。アルバム『恋し恋しや』に収録。

2008年3月に、スペースシャトルエンデバー」のフライトSTS-123の搭乗15日目のウェイクアップコールとして使用された(土居裕子歌唱)。


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