政権公約を実現する会
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政権公約を実現する会会長の鳩山由紀夫
略称鳩山グループ
前身鳩山政権を実現する会
設立2003年2月20日
設立者鳩山由紀夫
解散2020年3月31日
種類民主党グループ
会員数民主党所属国会議員
会長鳩山由紀夫
関連組織日本新党
新党さきがけ
新進党
市民リーグ
旧民主党
かつての呼び名民主党政権を実現する同志の会
政権交代を実現する会
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政権公約を実現する会(せいけんこうやくをじつげんするかい)は、民主党グループ。通称、鳩山グループ。
概要

2002年9月の民主党代表選挙鳩山由紀夫代表の3選を支持した議員や民由合併を推進していた議員を中心に結成された[1]

毎週木曜日に鳩山の個人事務所での会合を定例とし[1]、飲食代なども全て自己負担にするなど透明性を高めた運営を目指していた[1]。発足以来、旧新進党出身の議員や同じ保守系である政権戦略研究会羽田グループ)所属の議員の取り込み、さらに民社協会川端グループ)のバックアップなどもあって結成当初は党内最大勢力を誇った。

当初から去る者は追わず、来る者は拒まずという自由さや人数の多さもあって必ずしも一枚岩とはいえず、寄らば大樹の陰で参加している議員もいた。このため、政策的な繋がりは弱くサロン鳩山と揶揄されることもあった[1]。また、岡田克也のように一時的に参加したのち他のグループに戻ったり、移行する議員も多いため結束力は弱かった。

川端グループとの関係が深く、旧自由党出身の議員以外の所属議員がほとんど参加していた。このため、グループ友愛、鳩山・川端グループといわれることもあった。
沿革

2002年9月3日に旗揚げされた「鳩山政権を実現する会」を前身とする。鳩山が中心となって保守系の議員の結集を図ったものであったが、党代表に選出された鳩山由紀夫がわずか3か月で辞任したため、2003年2月20日に「民主党政権を実現する同志の会」として再出発し[2]、5月に名称を「政権交代を実現する会」に変更した[1]

2005年9月の第44回衆議院議員総選挙では海江田万里ら鳩山の側近が落選し、勢力を大きく後退させた[3]

2006年4月の代表選では小沢一郎を支持し[4][5]、小沢の当選後の党役員人事で鳩山は幹事長に就任した。

2007年7月の第21回参議院議員通常選挙では小沢グループ新政局懇談会横路グループ)に入る新人議員が多かったことから、小沢グループには人数で劣るようになった。
鳩山内閣

2009年5月の代表選では鳩山を当選させ、8月の第45回衆議院議員総選挙政権交代が実現すると鳩山が内閣総理大臣に就任したが、鳩山を取り巻く姿勢に批判も出た[6]。鳩山は5月8日付のメールマガジンで「念のために申し上げておきますが、この会は議員の集まりではありますが、派閥的会合ではありません。あくまで、政権交代を果たすために自ら研鑽を積もうとする議員に自由に開かれた勉強会です。その証拠にこの会は政権交代を実現した暁に解消されます。」[7]と記していたが、9月10日の会合で「政権公約を実現する会」と名称を変更して存続することとなった[8]。内閣総理大臣に就任した鳩山に代わって大畠章宏が会長に就任することが12月3日に決定された[9]

12月に政治団体に該当しながら選挙管理委員会に届けておらず、政治資金収支報告書の提出義務や寄付金の数量制限を逃れていたことが明らかになり、総務省から政治資金規正法上の各種の規定に抵触する恐れがあると指摘された[10]。グループの運営費は年間1千万円以上に上り、その多くを鳩山が負担していた[10]。鳩山はグループは派閥ではなく純粋な勉強会であって政治団体には該当しないという認識を示したが[11]、以後活動は自粛された[12]

2010年1月に活動を再開し、従来の事務所を解約して活動の拠点を議員会館に移すこととした[12]。また、総務省に政治団体として届け出ることを決定し[12][13]、2月3日に東京都選挙管理委員会に政治団体として届け出られた[14]
菅・野田内閣

6月2日に鳩山が辞意を表明すると、続く6月の代表選では6月3日に会長の大畠に対応を一任、6月4日に自主投票を決定したが、大半は菅直人を支持したとされる[15][16]

8月には鳩山が最高顧問としてグループに復帰し、今後はグループ主催の勉強会を鳩山友愛セミナーとの名称で開催することに決めた[17]

9月の代表選では、鳩山が7月22日に内閣・党役員人事で挙党態勢を築くことなどを条件として菅再選支持を表明していたが[18][19][20][21]、8月26日には小沢支持を表明し、8月29日に菅と会談して小沢との仲介を図ったが[22]、9月1日にはグループとして小沢支持を決定した[23]。こうした混乱から結束が保てず[24]、一部が菅再選支持に流れた[25]

この間のグループの求心力の低下は著しく[26]、かつて事務総長を務めた小沢鋭仁が自立して21世紀国家ビジョン研究会(小沢鋭仁グループ)を旗揚げしたのを皮切りに、2010年6月の代表選に出馬した樽床伸二青山会(樽床グループ)を旗揚げ、鳩山の下で内閣官房長官を務めた平野博文が自立して雄志会(平野グループ)を旗揚げするなど、幹部の離脱が相次ぎ、グループは縮小傾向を見せた[27]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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