放送室_(ラジオ番組)
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松本人志の放送室
ジャンルトークバラエティ
放送期間2001年10月4日?2009年3月28日
放送時間
放送時間を参照
放送回数391
放送局TOKYO FM
制作JFNC→TOKYO FM
ネットワークJFN
パーソナリティ松本人志
高須光聖
テーマ曲OP「You're So Cool」
Hans Zimmer
ED「人間の証明のテーマ」
ジョー山中
ディレクター長谷川朝二
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『放送室』(ほうそうしつ)は、2001年10月4日から2009年3月28日までTOKYO FMをキーステーションに、AIR-G'を除くJFN37局ネットで放送されたラジオ番組[1]。『松本人志の放送室』とも呼ばれる。放送開始当初はJFNCが制作していたが、2005年7月にTOKYO FMに移行された。
概要

ダウンタウン松本人志と、彼の幼馴染で放送作家高須光聖の2人による1時間のトーク番組。「肩の力を抜いて話すことができる場所が欲しかった」という松本が、小学生からの同級生である高須と1時間に渡り様々な内容のトークを繰り広げる内容である。番組名は、2人が中学生時代「放送部」に所属していたことから高須が「放送室でええやん」と言ったことに因むもの。松本の話し相手がタレントではない高須であるのは、松本曰く「話し相手が芸人、タレント、アナウンサーDJといった人ではない番組を一つやっておきたかった」、「高須とは元々友人同士だがお互い忙しくなり話す機会も減ってしまった。それならばいっそのこと仕事にしてしまえばいい」という理由からである。

番組開始当初のコンセプトとしては「誰にも(聴いていることを)言うな」と少しマイナーな番組を目指していたようだが、その意に反して業界内聴取率は高かったという。2人の会話の内容はお互いが近況報告や、高須も制作に関わるダウンタウンの番組の裏話、2人の少年時代の話など話題となることは多岐に渡る。その際には、裏方である番組スタッフや一般人である2人の同級生の名前など、一般には知られていない名前が挙がることも多い。

番組の途中で通常1曲だけ音楽がかかるが、これは松本と高須が毎回交互に選曲しており、1970年代 - 1980年代の歌謡曲が多い。1時間で(オープニングとエンディングを除き)1曲しか音楽が流れないというのは、FMラジオとしては非常に珍しく、また前述の番組内容と相まってこの番組はラジオ番組の中でも独特の雰囲気を醸し出している。ただ、ディレクターの計らいで数曲流れることもごく稀にある。

また、基本的には2本録りであるが、間の休憩はほとんどないらしく、松本が疲労を口にすることもある。3本録りの場合、「横蹴り3本シュート」等と称し、疲れている様を隠そうとしない。しかし、乗ってくれば肉体的な疲れは感じさせない盛り上がりを見せる。

基本的にキーステーションであるTOKYO FMは、番組スタートの深夜2時から番組終了までCMは一切入らないが、時期によっては番組冒頭と番組終了した後にCMが入るようになっている。

2009年3月7日放送分にて、3週間後の28日放送分をもって終了することを発表。7年半の放送に幕を降ろした。松本はその理由として、本番組以前から長年にわたり近況やプライベートを明かしていたことを挙げ、個人情報をさらけ出す環境から一旦距離を開けてみたかったことを述べており、この他、松本は倖田來未のラジオスキャンダルに便乗した、硫化水素自殺に関しての松本の発言の歪曲した報道に強い憤りを感じたと語り、「あれはこの番組を続ける気がなくなったかなり大きな理由の一つだ」という旨を述べている。また、「結婚」を決めたことも辞めた理由として後に語っている[2]
歴史

2001年10月4日 : 木曜日深夜1時30分からJFNが当初37局フルネット(当時)で放送を開始。しかし当時『ラジオ黄金時代』に内包されていた関係で、『放送室』終了後に放送していた『野村美由希のラジオ黄金時代』の番組告知を5分間行った後に開始したため、正確な放送時間は1時35分から放送だった。また時報CMをまたぐ為深夜2時前に曲がかかる傾向が高かった。

2003年3月27日 : fm osakaAIR-G'が一旦ネット打ち切り

2004年9月頃 : fm fukuokaが一旦ネット打ち切り。

2005年4月1日 : 番組開始当初の時間が『やまだひさしのラジアンリミテッドDX』の枠となった為、全国で放送時間が変更し、それぞれの地域でバラバラの放送時間に。TOKYO FMでの放送時間が、土曜日の26:00 - 27:00に移動。AIR-G'、fm fukuokaがネット再開。

2005年7月1日 : TOKYO FMへ制作を移行。それにより、ホームページもTOKYO FMのサイト内へ移動した。が、AFBRADIO BERRYが一旦ネット打ち切り。

2005年8月頃 : RADIO BERRYがネット再開。

2005年9月30日 : FMYμFMがネット打ち切り(10月7日JOY FM制作の『ウラニーノ・ヘボロックアワー』ネットを開始するため。しかし、事前予告を用意しないままネットを打ち切られた為、ウラニーノのHPのBBSに批判の書き込みが相次ぐ)。

2005年10月1日 : AFBがネット再開。

2006年3月25日 : AIR-G'で再び打ち切り。

2006年4月:ウラニーノの番組の放送時間変更に伴いFMYでネット復活。

2007年1月5日: ウラニーノの番組の打ち切りに伴い、1年3ヶ月振りにμFMでネット再開。

2007年8月4日: fm osakaがネット再開。

2008年4月:ほとんどの局が土曜深夜2時の放送となり、同時ネット局が増えた。

2008年8月30日: 土曜深夜2時で放送されている地域が『Meet The Music 2008! 全国民放FM53局&KDDI present Southern All Stars 30th Anniversary Live!!』と『サザンオールスターズ 真夏の大感謝祭に大感謝スペシャル!!』(この番組のみ一部地域)が放送のため放送時間が1時間繰り下げの土曜深夜3時に放送される。

2008年10月4日: FM AICHIの放送時間が土曜深夜2時からとなった。

2008年12月 : 松本が映画の撮影のため欠席(2009年1月3日の放送で単なる休暇であったことが判明)。代役として宮川大輔12月20日)、千原ジュニア12月27日)を迎え放送を行った。

2009年3月7日: 冒頭で番組が終了することを発表。発表直後から、高須のブログに番組続行を求めるファンのコメントが殺到した。

2009年3月28日 : 最終回《第391回》を放送。

2013年3月26日 : 「松本人志の放送室」CD-ROMリリース記念特別番組を放送。松本不在で、高須と長谷川がパーソナリティを務めた。

企画

テーマ :第50回目の放送までは、毎週50音順にテーマが用意されていた(例:「あ」の週なら「相方」「愛」について語る、など)。その後はハガキ、メールでテーマが募集されるようになったが、2004年以降はハガキを全く読まないで進行する回が多い。

ノベルティー :2002年4月11日放送の回でこの番組のノベルティー(「ひとしずく」という松本人志の自宅の水道から汲んだ水)を作ろうという提案がされたが、衛生的な理由により不可能になり、番組特製の耳栓が作られ、ハガキの投稿者にプレゼントされている。

12人の公開録音 :
2002年6月20日、27日放送 松本人志がこの番組のリスナーの数を「12人」と発言したことから企画され、斉藤敏豪や一般人を含む12人の前で公開録音が行われた。27日の放送では、斉藤がトークに参加した。

ゲスト出演 : 2003年1月16日放送の回では、木村祐一と千原ジュニアが出演。2003年1月30日放送の回では松本、高須双方の母親が電話でゲスト出演。2003年7月17日放送の回では、山崎邦正が出演。2005年8月27日放送の回では、清水宏泰と城間康男が出演。2007年4月28日放送の回では、トータス松本が飛び入りゲスト出演。

史上最大の公開録音 : 2003年12月27日、日本武道館で「高須ちゃん生誕40周年祭り」と称した公開録音が行われた。ゲストに小・中学生時代の同級生や業界関係者が出演し、サプライズゲストとして浜田雅功が出演した。

冒頭の挨拶 : 番組冒頭の挨拶は「どうもまっちゃん○○です」、「どうも○○高須です」というのがフォーマットとなっている。○○の部分は毎週異なり、松本は自分で考えているが、高須はリスナーの投稿から選んだフレーズを使っている。その際、高須が使ったフレーズに対し松本が突っ込み、高須は自分が考えたものではないと言い訳するのが一つのパターンとなっていた。

カプリチョーザ杯 :下段参照

カプリチョーザ杯

番組内で松本がカプリチョーザについての話をしたことで、後日カプリチョーザから食事券がプレゼントされた。


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