放蕩息子
Le Fils prodigue
構成1幕3場
振付G・バランシン
作曲プロコフィエフ
台本B・コフノ
美術・衣装G・ルオー
初演1929年5月21日
サラ・ベルナール劇場
【放蕩息子】 S・リファール
【サイレーン】 F・ドゥブロフスカヤ
【父親】 M・フョードロフ
【放蕩息子
の友人】 L・ヴォイジコウスキー
A・ドーリン
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『放蕩息子』(ほうとうむすこ、仏: Le Fils Prodigue )は、バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)による最後のバレエ作品、またセルゲイ・プロコフィエフによる同バレエのための音楽(作品46)および交響組曲(作品46bis)。その音楽の一部はプロコフィエフの『交響曲第4番』に転用されている。 バレエ・リュスの主宰者セルゲイ・ディアギレフから、誰でもが理解できる簡単なストーリーを考えるよう求められたボリス・コフノは、聖書(『ルカによる福音書』)に登場する放蕩息子の寓話を主題にすることを提案し、このアイデアが採用された[1]。 1928年初秋に作曲を委嘱されたプロコフィエフは、11月には早くもスケッチを完成させ、冬にはオーケストレーションが行われた。あまりの仕上がりの早さにディアギレフは驚き、作品が大したものにならないのではないかと考えたが、できあがった音楽には満足した[2]。 ディアギレフは美術をアンリ・マティスに依頼したが、劇場の仕事に幻滅していたマティスが断ったため、コフノは聖書をテーマとする作品で知られる画家ジョルジュ・ルオーに依頼することを提案した[3]。ディアギレフは、当時のパリにおけるルオーの最大のコレクター福島繁太郎・福島慶子
成立の経過
初演におけるバレエ・リュスのパリ公演において、プロコフィエフ自身の指揮により初演された。タイトルロールを演じたセルジュ・リファールの感情表現は観客を熱狂させたが[6]、プロコフィエフはジョージ・バランシンの振付が音楽に合わないとして不満をもらした[7]。同年のベルリン公演、ロンドン公演でも上演されたが、シーズンオフとなった8月19日にディアギレフが病死し、そのままバレエ・リュスは解散した。
その後、1980年代にミハイル・バリシニコフの演技によって再評価され、熊川哲也などのダンサーたちに踊られ続けられている[8]。 台本を担当したコフノは、ストーリーをより単純にするために放蕩息子の兄のエピソードを割愛した。 以下の10曲から成る。演奏時間は約38分(ゲンナジー・ロジェストヴェンスキー 指揮 ソ連文化省交響楽団 演奏に拠る)。 1930年のボストン交響楽団創立50周年演奏会のために、指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーから交響曲の作曲を委嘱されたプロコフィエフは、『放蕩息子』のバレエ音楽および、実際には使用しなかったスケッチなどを素材として4楽章からなる『交響曲第4番』(1929年 - 1930年)を作曲した。第1楽章はスケッチから、第2楽章は「息子の帰宅」、第3楽章は「美しい乙女」の音楽が使用されている[9]。また、バレエ音楽に基づく5楽章からなる交響組曲も作られ、1931年3月7日、パリにおいてプロコフィエフ自身の指揮で初演された[10]。
あらすじ
第1幕:放蕩息子が父親と喧嘩をし、家を飛び出す。
第2幕:家を出た放蕩息子は自堕落な生活を送り、美女に誘惑されて金品を盗まれ、ついに身を持ち崩す。
第3幕:放蕩息子は愚行を悔みつつ家へ戻る。父親は疲れ切った彼を迎え、許す。
バレエ音楽
旅立ち
友との出会い
美しい乙女
男たちの踊り
放蕩息子と美しい乙女
酒宴
略奪
自覚と悔恨
略奪品の分配(間奏曲)
息子の帰宅