支配勘定(しはいかんじょう)は、江戸幕府における職名の1つ。勘定所で実務に当たる勘定奉行配下の役人で、役所においては勘定の下にあたる。勘定所には他に、支配勘定見習や支配勘定出役などがいた。職務上、筆算の才能が必要なため、任用に際しては吟味が行なわれた。
躑躅間(つつじのま)詰めで裃役[1]、100俵高[2]。持扶持勤めで御目見以下の御家人がこの職に就いた。徒目付・火番・小普請組・普請役や、勘定所の下僚が支配勘定へ昇進し、その後勘定や勘定吟味方改役[3]、代官などになった。設置されたのは万治2年(1659年)で、この時の人員は24名。宝暦11年(1761年)には93名となっていた。
宝暦4年(1754年)普請修復見分のための遠国出張費(物書料)を、関外は20両・関内は15両と定められたが、同6年(1756年)には関外15両・関内10両に減額された。
支配勘定見習は、10人扶持で[2]、宝暦5年(1755年)12月に設置。
支配勘定出役は、譜代席で100俵以下の者は5人扶持を与えられた[2]。寛政8年(1796年)に設置。当初20名だったが、同11年(1799年)に15名が追加。さらに文政3年(1820年)に10名、天保9年(1838年)に20名がそれぞれ加わり、計65名となった。
脚注^ 『吏徴』より。
^ a b c 『天保年間諸役大概順』より。
^ 勘定吟味役の属吏で、役高150俵。
参考文献
竹内誠編 『徳川幕府事典』 東京堂出版 2003年 ISBN 4-490-10621-1
大石学編 『江戸幕府大事典』 吉川弘文館 2009年 ISBN 978-4-642-01452-6
『大江戸役人役職読本』 新人物往来社編 2009年 ISBN 978-4-404-03717-6
『国史大辞典』3巻 吉川弘文館 ISBN 4-642-00503-X
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