攘夷実行の勅命
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歌川芳藤による1861年の作品「横浜誉勝負附」[1]。攘夷を望む心情の表現とされる。

攘夷実行の勅命(じょういじっこうのちょくめい)、または攘夷勅命(じょういちょくめい)は、孝明天皇幕末1863年文久3年)に発したとされる京都朝廷江戸幕府の間で懸案となっていた攘夷論を実行に移す意図があった。ただし、単一の勅命という形ではなく、複数の異なる勅が発せられており、その多くは当時朝廷にいた急進的攘夷論者[注釈 1]が、意見を同じくする武士らと謀る形で天皇の意思とは無関係に「勅命」として発したとされる。

※以下、注記がない限り日付は旧暦(天保暦)である。
背景

安政5年(1858年)の日米修好通商条約調印に際して、孝明天皇はこれに強く反対し、幕府が勅許を待たずに調印すると「違勅調印」と批判の上、幕府や水戸藩に対して大名の群議により徳川家を助けてこの難局を乗り切ること、この内容を諸藩に伝達することを求める密勅(戊午の密勅)を送った[7][8][9][注釈 2]。この天皇の行動は「政務の幕府への委任」という当時の慣例を踏み越えるものだった[7]。密勅の発出には水戸藩からの工作も存在した[7]

幕府大老井伊直弼は、将軍継嗣問題も含めた幕府や水戸藩の反対派に処分を加え(安政の大獄)、その上で天皇に対して条約の勅許を求めた[7]。直弼は老中間部詮勝を京都に派遣し、戦争回避のためのやむを得ない調印であり軍備の充実後に鎖国を復活させると天皇を説得、年末に天皇は鎖国復帰を「当分猶予する」と答えた[7][10][注釈 3]。しかし、密勅の返還を求めた直弼に水戸藩士の一部は反発し、安政7年(1860年)3月3日に桜田門外の変で直弼を暗殺する[7][11]

直弼が不在となったのち、幕政の中心となった老中の安藤信正らは、幕府と朝廷の融和(公武合体)策として、将軍徳川家茂と天皇の妹である皇女和宮の結婚を企図した[12]。幕府側が10年内の鎖国復帰(「蛮夷拒絶」)を約束することで、万延元年(1860年)[注釈 4]8月に孝明天皇はこの結婚を承認した(婚儀は文久2年(1862年)2月)[12][13]。これにより、再び「攘夷」は政治課題となった。
攘夷論の過激化

これに前後して、幕政を有力大名も参加する合議制に転換する動きが長州藩薩摩藩で起きる[14]。長州藩では長井雅楽が通商により国力を高めて「皇威を海外に振るう」という内容の『航海遠略策』をまとめてこれが藩論となり、文久元年(1861年)5月に朝廷に提出されると孝明天皇はその内容を評価し、幕府側の安藤信正も好意を示した[14][6][注釈 5]。しかし信正は翌文久2年1月に、水戸藩浪士らの襲撃(坂下門外の変)により負傷する[14][15]。これ以降土佐藩や薩摩藩では「破約攘夷」を求める急進的な動きが高まり、7月には長州藩も藩論を破約攘夷に転換した[14][16]。これらの動きには、天皇の意に沿って(再)鎖国と攘夷を実現するという志向があり[14]尊王論と結びついた尊王攘夷路線であった。もっとも、長州藩で長井雅楽に代わって藩論を主導した周布政之助の意見は「いったん攘夷後に(日本が主体性を持った)条約を結び直して開国する」というもので、「鎖国への復帰」という天皇・朝廷や浪士などの主張とは一線を画していた[17][18]。とはいえ、外国との武力衝突も辞さず、「皇基を立てんと欲す」(政之助の所懐の表現)という長州藩の「破約攘夷」論は、そうした勢力には親和的なものであり、朝廷と長州藩は接近していった[17]

一方、薩摩藩の島津久光(藩主の父)は、文久2年(1862年)4月に京都に上り、朝廷の許しを得て過激な攘夷論者を討つ(寺田屋事件)傍ら、朝廷と組む形で幕府に改革を求める動きを起こす[14][19][注釈 6]。将軍の家茂も幕政改革に着手し[注釈 7]、久光とともに江戸に到着した勅使の大原重徳が伝えた天皇の意向に沿い、一橋慶喜将軍後見職松平慶永(春嶽)政事総裁職といった要職に就けた[19][21][22]。慶喜と慶永らは就任後の8月に天皇の指示を尊重した幕政を約する文書を提出して、朝廷と幕府の関係は激変した[21]。さらに、大名の参勤交代を大きく緩和したうえに、水戸藩に対しては戊戌の密勅を認めたことで、将軍家の大名統制は低下して、「朝廷から大名への指示」を許す形になった[21]

「破約攘夷」に転換した長州藩は、朝廷に支援を与えながら急進的攘夷論を浸透させ、朝廷では「公武合体派」と見られた九条尚忠関白)や岩倉具視らが失脚した[23][24]。彼らの失脚は朝廷内の急進的攘夷派公家による「四奸二嬪排斥運動」と呼ばれる動きによるものだった[25]。久光は朝廷に「外国と戦争になれば勝ち目はない」と破約攘夷に反対する建白を朝廷に提出したが、受け入れられなかった[24]


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