擬人観
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俵屋宗達風神雷神図』(17世紀前半)

擬人観(ぎじんかん)とは人間以外の動植物、無生物、事物、自然概念などに対し人間と同様の姿形、性質を見いだすことである。

英語では anthropomorphism だが、実際には personification の訳語として用いられることのほうが多い。しかし personification はより広い意味を持つ。そのため厳密には anthropomorphism は「人間形態化(観)」とでも翻訳するが、どちらも「擬人化(観)」という訳語が定着している。
擬人化の概念

擬人化の前提として、人間は他の人間と関わることで生存する社会的存在であるため、意味のありそうな動きをする無機物や、人間の顔や身体の特徴を感じられる図形やパターンを目にすると、無意識にその事象に人間や生命を認知してしまう認識機能がある[1]
宗教や神話における擬人化

古来より行われた擬人観と現在のそれは大きく異なっている。その代表的な見方が、世界多くの神話で用いられた神々の存在とそれに準えられる人間の自然の象徴との関連であり、大自然や絶対的な摂理に対する偶像崇拝の意味合いが強い。多神教においては、人間の概念(愛、戦争、多産、美など)や自然現象(風、雷、季節など)が神格化され、その神々は人間と同様の姿や感情(愛情、怒り、嫉妬、強欲、嫌悪など)を持ったりする。このような神の擬人化はエジプト神話ギリシャ神話ヒンズー神話道教日本神話などで見られ、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}哲学や心理学などあらゆる学問に通じていた一つの根本概念であった。[要出典]。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教では、神を具体的なもので象徴することは基本的に禁じられている。しかし、キリスト教は神・キリスト。聖霊を一体とする三位一体の神学があり、キリストは神性と人性を兼ね備えているし、聖霊はハトによって象徴されることもある(擬動物化)。
神道

一神教が発達する以前の多くの社会と同様に、古代から日本においては「森羅万象全ての物にが宿っている」という多神教の考え方があり、日本最古の神社いわれる大神神社の神体は山そのものであり、自然崇拝の概念そのものであり、それを象徴する神が存在した。

また日本における神道の流れを汲む多神教の概念は中世?近世にかけて一種の寓話として盛り込まれ、子供の躾けなどに用いられた。「?には?の神がいる」という教えなどがその典型であり、そうして子供達に一つずつ道徳を解いていったといわれる(付喪神など)。
ギリシャ・ローマ神話

古代ローマの宗教ではさまざまな存在や概念に与えられた名詞がそのまま神格となっている例も多い(勝利=勝利の女神=ウィクトリアなど)。[独自研究?]
ギリシャ哲学

ギリシャの哲学者、クセノファネスは最も偉大な神は形においても、心においても人間に似ることはないとした[2][3]。多くの古代ギリシャの哲学者が一神教を信じており[4][注釈 2]ペリパトス派プラトン主義ストア派も擬人化された神を認めなかった[9][10][注釈 3]
キリスト教

ローマカトリック教会は過度に字義的な聖書解釈を認めず、神に人間の姿を与えることを明確に否定している[12]。キリスト教が擬人化された神を拒絶するようになったのは4世紀以降とされている[13]。また同時期に神のジェンダーも否定され[14]、性別を超越した存在として定義した。
ユダヤ教とイスラム教

ユダヤ教とイスラム教では神は人間の理解を超えた存在であると信じており、擬人化された神を拒絶している[15][注釈 4]旧約聖書によると、神は人間の常識では測れないことを強調している。わたしは神であって、人ではなく、あなたのうちにいる聖なる者だからである。 ? ホセア書(口語訳)11:9彼は人ではないから悔いることはない ? サムエル記上(口語訳)15:29


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