この項目では、三重県桑名市にある養老鉄道の駅について説明しています。
兵庫県加古郡播磨町にある山陽電気鉄道の駅については「播磨町駅」をご覧ください。
須磨浦山上観光リフトのはりま駅については「須磨浦山上遊園」をご覧ください。
播磨駅
駅全景(2007年2月)
はりま
HARIMA
◄桑名 (1.6 km) (2.4 km) 下深谷►
所在地三重県桑名市大字播磨2500-3.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度4分41.35秒 東経136度40分29.51秒 / 北緯35.0781528度 東経136.6748639度 / 35.0781528; 136.6748639座標: 北緯35度4分41.35秒 東経136度40分29.51秒 / 北緯35.0781528度 東経136.6748639度 / 35.0781528; 136.6748639
所属事業者養老鉄道
所属路線■養老線
キロ程1.6 km(桑名起点)
駅構造地上駅
ホーム1面1線
乗車人員
-統計年度-265人/日(降車客含まず)
-2019年-
開業年月日1939年(昭和14年)12月29日
備考無人駅
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播磨駅(はりまえき)は、三重県桑名市大字播磨にある、養老鉄道養老線の駅である。 単式ホーム1面1線を有する地上駅。棒線構造のため、大垣方面行きと桑名行きの双方が同一ホームに発着する。駅舎はなく、ホーム桑名寄りの入口から直接ホームに入る。 無人駅であるが、休日は不定期に係員配置されることがある。駅ホームには道路に接続するスロープが設けられている。 なお2021年(令和3年)1月15日までは、土休日の終日と平日の一部時間帯で自転車の持ち込みができるサイクルトレインが利用可能の駅は、この駅から(まで)で、桑名駅では利用不可となっていた[1]。 近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[2][3][4]。 「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである[5]。 年度一日平均 播磨駅の利用状況の変遷を下表に示す。 年度別利用状況(播磨駅)
歴史
1939年(昭和14年)12月29日:養老電鉄の桑名 - 下深谷間に新設開業。
1940年(昭和15年)8月1日:参宮急行電鉄への合併により同社の駅となる。
1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道への合併及び社名変更により関西急行鉄道の駅となる。
1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道と南海鉄道の合併による社名変更で近畿日本鉄道の駅となる。
2000年(平成12年)3月1日:無人駅化(その後駅舎を撤去)。
2007年(平成19年)10月1日:近畿日本鉄道からの経営分離に伴い、養老鉄道の駅になる。
駅構造
当駅乗降人員
2018年11月13日:395人
2015年11月10日:443人
2012年11月13日:531人
2010年11月9日:465人
2008年11月14日:582人
2005年11月8日:936人(当時近鉄養老線)
利用状況
乗車人員
1997年661
1998年644
1999年579
2000年469
2001年439
2002年445
2003年439
2004年444
2005年482
2006年488
2007年442
2008年360
2009年330
2010年317
2011年476
2012年453
2013年226
2014年496
2015年384
2016年264
2017年257
2018年274
2019年265
輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度乗降人員調査結果
人/日特記事項
通勤定期通学定期定期外合 計調査日調査結果
1950年(昭和25年)332,520←←←←91,280423,800
1951年(昭和26年)374,460←←←←99,874474,334
1952年(昭和27年)367,020←←←←92,325459,345
1953年(昭和28年)429,510←←←←103,811533,321
1954年(昭和29年)432,090←←←←110,014542,104
1955年(昭和30年)404,370←←←←110,232514,602
1956年(昭和31年)443,520←←←←124,171567,691
1957年(昭和32年)476,810←←←←128,235605,045
1958年(昭和33年)463,260←←←←121,345584,605
1959年(昭和34年)489,600←←←←135,412625,012
1960年(昭和35年)535,980←←←←128,862664,842
1961年(昭和36年)582,150←←←←139,831721,981
1962年(昭和37年)592,380←←←←147,923740,303
1963年(昭和38年)611,670←←←←157,248768,918
1964年(昭和39年)623,190←←←←148,866772,056
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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