播磨の国一揆
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播磨の国一揆(はりまのくにいっき)は、室町時代1429年正長2年)2月、前年の正長の土一揆の影響を受けて起こった、政治的要求に基づく一揆である。播磨の土一揆(はりまのつちいっき)とも。

播磨国兵庫県南西部)守護赤松満祐の配下の軍兵の国外退去、荘園代官の排除を要求して蜂起するが、赤松満祐に鎮圧される。国一揆の始まりとも言われる。

中山定親の『薩戒記』に記述がある。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}或る人曰く播磨国の土民旧冬の京辺の如く蜂起し、国中の侍悉く攻むるの間、諸庄園代、加之守護方軍兵彼等の為に、或ひは命を失ひ、或ひは追ひ落とさる。一国の騒動希代の法なりと云々。凡そ土民、侍をして国中にあらしむべからざる所と云々。乱世の至なり。よりて赤松入道発向し了んぬ者—『薩戒記』
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『播磨国一揆
』 - コトバンク


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