撫牛
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道明寺天満宮(大阪府藤井寺市)の撫牛 牛嶋神社(東京都墨田区向島)の撫牛

撫牛(撫で牛、なでうし)とは、ウシ(牛)の座像の置物を撫(な)でて自分の病気を治す信仰習俗
目次

1 撫牛の信仰

2 撫牛の祭祀

3 大黒天と撫牛

4 牛頭天王と撫牛

5 天神信仰と撫牛

6 縁起物としての撫牛

7 境内に撫牛の座像がある社寺

8 ギャラリー

9 文芸にあらわれた撫牛

10 類似の民俗例

11 脚注

11.1 注釈

11.2 参照

11.3 参考文献


12 関連項目

13 外部リンク

撫牛の信仰

撫牛とは、自分の身体の病んだ部分や具合の悪い部分をなでたあと、その牛の身体の同じ箇所をなでると、悪いところが牛に移って病気が治るという俗信であり、風習である。この信仰は、まじないの手法のひとつである「撫物(なでもの)」に由来する[注釈 1]。すなわち、みずからのツミケガレ、邪気を人形に移して祓い、心身を清めるというものである[1]。このようなかたちの俗信には、信濃国善光寺長野県長野市)や奈良東大寺大仏殿前の「おびんずる」(お賓頭盧[注釈 2])や浅草寺東京都台東区浅草)脇の浅草不動尊の「撫で仏」がある。

撫牛は、病気平癒のみならず、諸願成就にも効力があるとされ、開運を信じて常に牛の身体をなでていれば、出世はもとより、万事願いがかない、みずから思いもよらない幸運に恵まれることさえあるといわれる[1]。子女の無病息災や子孫繁栄などの効能があるともいわれ、東京向島の牛嶋神社には、撫牛によだれ掛け奉納する風習があり、それを生まれたばかりの乳児に掛けると元気に育つという口承(言い伝え)がのこる[2]

撫牛信仰の起こりがいつの頃かはよく知られていない。しかし、病気平癒を主とする、上記のようなかたちでの信仰がさかんになったのは江戸時代からである。江戸時代中期以降の印刷物である『開運撫牛縁起』[注釈 3]には、撫牛を祭って開運を得る手立てが示されており、山城国京都府)の伏見稲荷大社門前に所在する伏見人形の店には、この印刷物が撫牛の置物とともに配布されていたといわれる[1]
撫牛の祭祀

上述の『開運撫牛縁起』によれば、毎月1日、15日、28日の月3回、一番に汲み上げた初水を供し、灯明を献じて祀るものとされ、撫牛の像は、その大きさに応じて作られたふとんの上に据えて、居間の卓上や違い棚などに置き、大黒天を念じつつ、常にこの牛を撫でさすっていると、その家には吉事が現れ、家運がおおいに開けるといわれる[1]。そして、一家に吉事があれば、そのたびごとに撫牛を増やして祭り、12日おきにおとずれるの日に小豆餅を供え、初穂も祭って、家でいただくべしとしている[1]。また、到来物はすべて撫牛の前に供えるべきこととしている[1]

同縁起にはまた、「出世大黒天祭の法」なる文もあり、そこには、大黒天の霊験はことごとく撫牛のの部分に勧請されているのだから、撫牛の頭部をなでながら願いがかなうことを祈念すれば実現すると記されている[1]
大黒天と撫牛

『開運撫牛縁起』によれば、大黒天の縁日にあたる甲子の晩は撫牛に煎茶を供えたのち、その茶をひとりで飲むこととされ、また、他の人は茶を供えてはならないと記している[1]

別の印刷物には、撫牛像を取得して最初の甲子の日に、像を黄色に染めた木綿のふとんの上に置くべきことが記され、自分自身で縫い上げた財布を牛の腹に入れ、甲子の日のたびに銭貨を財布に納めるようにすれば、必ず金銀財宝を得て栄えると記している[1]

大黒天のお守りやお陰は撫牛の頭部に勧請されると考えられたり、また、撫牛のなかには眉間に大黒天の像を彫り込んだものさえあったり、さらに上述のように大黒天の縁日がとりわけ重視されるなど、撫牛信仰と大黒天信仰とは密接にむすびついていた[1]。撫牛は黒色であることが本来的であると理解されてきたが、それも大黒天の「黒」に由来するものと考えられる[1]。大黒天は、元来はバラモン教の神マハーカーラ仏教に採り入れられた天部の神であるが、中世以降は、牛を乗り物とする摩多羅神とも習合して福をもたらす仏神として俗信化したことが知られる[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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