摩訶波闍波提
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「プラジャーパティー」はこの項目へ転送されています。ヒンドゥー教の神については「プラジャーパティ」をご覧ください。

摩訶波闍波提
悉達多太子(後の釈迦)と摩訶波闍波提
宗派(原始仏教
釈迦
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摩訶波闍波提(まか・はじゃはだい、名前については後述)は、釈迦叔母であり養母である。また孫陀羅難陀(そんだら・なんだ)の母である。後に釈迦が悟りを得て仏となると、最初の比丘尼(びくに、女性の内弟子)となった。
名前

サンスクリット語:Mah?-praj?pat?(マハー・プラジャーパティー)

パーリ語:Mah?-paj?pat?(マハー・パジャーパティー)

他の音写:摩訶・?剌闍?底、摩訶・卑耶和題ほか

漢訳(意訳含む):大愛道、大世主、大愛、世主、愛道、大勝生主など

別名:喬答弥、瞿曇弥、倶曇弥(以上すべて、きょうどんみ、ゴータミーと読む)ほか

摩訶・波闍波提は、サンスクリット語のMah?-praj?pat?の音写で、摩訶(Mah?)は、インドにおける、「大きな、偉大なる」という意味の称号。波闍波提(praj?pat?/paj?pati)は、世主などを意味する。なおMah?の称号を外し、単にpraj?pat?/paj?patiとすると、これは天部にいる神(三十三天において、帝釈天の次、すなわち第2位の天主)の名前になるので注意。

なお彼女は、喬答弥(きょうどんみ、ゴータミー)とも呼ばれる。釈迦族の女性はすべて同じくゴータミーと呼ばれるが、彼女は特に釈迦族の女性を代表して呼ばれることが多い。その理由は、彼女が釈迦族と同じ祖先である拘利族(コーリヤ)出身であること、また釈迦族の浄飯王(じょうぼんのう、スッドーダナ)に嫁いだことによるものである。

また仏典の中には、『大愛道比丘尼経』などのように、彼女を大愛道、あるいは大愛道比丘尼と表記することも多い。
生涯
出自

摩訶波闍波提は、釈迦の生母である摩耶夫人の妹とするのが定説であるが、史料によっては、長幼を逆としたものや摩訶波闍波提を釈迦の生母とするものもあり、混乱がみられる。また、彼女らの出身地がデーヴァダハ城であることは多くの史料に共通するが、両親については記述が異なる。以下、初期仏教聖典の記述を示す[1]

史料出生地部族父親母親その他
『Apad?na』デーヴァダハ城釈迦族アンジャナスラッカナー
『D?pava?sa』摩耶夫人と同じ母
『Mah?va?sa』デーヴァダハ城釈迦族アンジャナ王ヤソーダラー[注釈 1]
『Ther?g?th?-A』デーヴァダハ城マハースッパブッダGautam?を摩訶波闍波提の姓とする
『根本有部律』天示城善悟王妙勝名前を記さないが、妹が釈迦の母と読める。
『仏本行集経』天臂城天臂城の長者[注釈 2]8女がいて、長女を摩耶夫人、8女を摩訶波闍波提とし、摩訶波闍波提を釈迦の母とする
『Mah?vastu』デーヴァダハ釈迦族スブーティコ―リア族の娘7女がいて、7女を摩耶夫人とする
『衆許摩訶帝経』天指城酥鉢?没駄王龍弭彌姉を摩耶、妹を摩賀摩耶とし、妹を釈迦の母とする

森章司らは、以上のうち父親のマハースッパブッダ・善悟・酥鉢?没駄王は同一と推測するが、アンジャナとスブーティは別名で、どのような関係かも解らないとする。また、母親のヤソーダラー・妙勝は同一と推測している[1]
結婚と釈迦の養母摩訶波闍波提と提婆達多葛飾北斎・画。『釈迦御一代記図会』(1839年)より

摩訶波闍波提は、摩耶夫人と共に浄飯王に嫁いだとされる。姉妹の年齢差や結婚した順については、史料に混乱がみられるため断定することはできないが、森らは姉の摩耶夫人と妹の摩訶波闍波提には相当の年齢差があり、二人は同時に嫁いだが、摩耶夫人が釈迦を出産してすぐに亡くなったため、年少であった摩訶波闍波提が便宜上の母親になったと推測する。また、その時の摩訶波闍波提の年齢を13歳と仮定し[注釈 3]、その上で「摩訶波闍波提が釈迦を乳育した」などの記述は養母である事を示すだけで、実際に授乳したとは思えないなどとしている[3]
子供

浄飯王には2人の息子がおり、悉達多(釈迦)と難陀(Nanda)とするが、その他に、妹(Nand?)が居たとする史料がある。難陀と妹の母は摩訶波闍波提と考えられるが、この部分は難陀の妻を含めて名前に混乱がみられるため判然としない。以下、史料を記す[1]

史料阿難娘難陀の妻その他
『衆許摩訶帝経』難陀蘇鉢?
『Ther? Apad?na』次兄Nand?浄飯王の娘で美貌ゆえにナンダーと名付けられる。母に説かれて兄に続いて出家するが修行に身が入らず、みかねた長兄がナンダーより美しい女に姿を変え、実は不浄な肉体であることを見せつけた為、ナンダーは智慧を得て阿羅漢となり、禅定第一となった。
『Ther?g?th?』難陀王子Nand? または、
Sundar?-Nand?、
Janapadakaly???世尊がカピラ城に難陀王子とラーフラ王子は出家し、浄飯王が亡くなると摩訶波闍波提と耶輸陀羅が出家した。そこでSundar?-Nand?も出家した。
『Suttanip?ta』難陀上座Nand?Janapadakaly??i-Nand?このほかに、Abhir?pa-Nand?(美貌のナンダー)が居る。
『Dhammapada-A』難陀Janapadakaly??i
『J?taka 182』難陀孫陀利
『パーリ―律』Sundar?-Nand?は男を誘惑する悪比丘尼として登場。
『Mah?vastu』Sundarananda
『僧祇律』孫陀羅難陀

以上のように、摩訶波闍波提の子とされる難陀と妹、そして難陀の妻の名前には、Nanda・Nand?・Sundar?・Janapadakaly???など類似する名前が現れ混乱している。森らは、これらのエピソードは一つの源泉から生じている可能性も有り得るとしている[1]
出家まで

摩訶波闍波提の在家中のエピソードは少ないが[注釈 4]、史実性が高いと思われるものに、摩訶波闍波提が釈迦に新布を布施した話がある[4]。摩訶波闍波提は、自ら紡いだ糸で自ら織った布を釈迦に布施したいと願ったが、釈迦は「僧伽に布施しなさい」と拒んだ。阿難がこれを取りなしたが、それでも釈迦は受け取らなかった。 ? 『Apad?na』[4]

この出来事の時期について摩訶波闍波提の出家後と読み取れる史料もあるが、森らは、比丘尼は布を作ることはできないので出家の直前であったと推測している[4]
出家「八敬法」および「施分別経」も参照

摩訶波闍波提は、釈迦に懇願し、許されて出家をする。その出来事の記述も史料によって異なるが、森らは、大まかに共通するところを纏めると以下のようになるとする[5]。ある時、釈迦がカピラヴァットゥのニグローダ園が居るときに、摩訶波闍波提が訪ねてきた。摩訶波闍波提は500人の釈迦族の女性と共に、女性の出家を再三再四懇願したが、釈迦は「女性が多く男性が少ない家は興隆しない」として許さなかった。

その後、釈迦はよその場所に移るが、摩訶波闍波提らも後を追う。そして、そこでも再三再四懇願するが、それでも釈迦は許さなかった。精舎の外で女性らが疲れ果てて泣いている様子を見て、阿難は同情して釈迦に女性の出家を許すように釈迦に言った。しかし、それでも釈迦は許さなかった。そこで阿難は、摩訶波闍波提が釈迦の養母であり大恩があることを説く。すると、釈迦は「摩訶波闍波提に三帰五戒を授けたのだから、彼女も私に恩がある」とするが、八敬法を守る事を条件に女性の出家を許す。阿難は、これを摩訶波闍波提に伝え、摩訶波闍波提は八敬法を守ると誓い比丘尼となった。摩訶波闍波提は後に、八敬法のうち比丘尼を比丘の下位に置くとする部分を見直しするように阿難に願う。阿難がこの願いを釈迦に伝えると、釈迦は「正法が500年に減じた」と嘆いた。[5][注釈 5]

以上の出来事が起こった時期については諸説あるが、森らは、釈迦が成道後はじめてカピラヴァットゥに戻った(成道13年)以降、かつ阿難の弟子入り(成道20年)より後で、摩訶波闍波提が出家を願うようになるのは夫の浄飯王の死がきっかけであったと推測している[5]
入滅

摩訶波闍波提の入滅について、原始仏教聖典には次のように記される[7]。釈迦はヴァイシャーリーの講堂にいた。その時、摩訶波闍波提が比丘らが「釈迦が3か月後に入滅する」と話しているのを耳にした。摩訶波闍波提は、釈迦や阿難が入滅するのを見るのは耐えられないと考え、釈迦を訪ねて先に入滅することを願い出る。釈迦は、これを黙して許した。500人の比丘尼も同様に許された。摩訶波闍波提は、神通を示して入滅した。釈迦は、阿難や難陀らを率いて摩訶波闍波提の寺に行き、自ら舎利を供養した。 ? 『増一阿含』[7]

この時の摩訶波闍波提の年齢を120歳とする記述や、500人の釈女が同時に入滅した事など、いくつかの点は史実とは考えにくいが、多くの経典に共通する伝承であり、森らは無視できないとしている[7]
比丘尼僧伽での活動

摩訶波闍波提らの出家により比丘尼僧伽が成立する。摩訶波闍波提と共に出家した女性500人は釈迦族の女性で、カピラ城の女官であったとされる[8]


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