イビデン株式会社
IBIDEN CO.,LTD.
本社
種類株式会社
市場情報東証プライム 4062
イビデン株式会社(英: IBIDEN CO.,LTD. )は、岐阜県大垣市に本社を置く電子部品メーカーである。プリント配線板やパッケージ基板の製造を手掛けるほか、自動車用などのセラミックス製品製造も主業とする[1]。プリント配線板・パッケージ基板のトップメーカー[2]。
1912年(大正元年)に揖斐川での電源開発を目的として「揖斐川電力」という社名で設立された。開業初期から電力会社としての側面を持ちつつも自社の水力発電を活かして兼営の工業部門を拡大。太平洋戦争下の戦時統制で電気供給事業を手放し、次いで1970年代のオイルショックを機に主業を電気炉工業から電子部品製造へと移した。1982年(昭和57年)より現社名を称する。 イビデン株式会社は電力事業を行う会社として創業、時代とともに電気化学事業、電気機器事業へと事業分野を移してきた。一時期、電気鉄道(現在の養老鉄道養老線)を経営していたこともあった。 かつてはカーバイド、石灰窒素、メラミン樹脂、化粧板、建材等を生産していたため、東証上場時は化学メーカーに分類されていたが、1994年、電気機器メーカーに変更された。トヨタグループ、特に豊田自動織機との関わりが深く、協豊会
概要
沿革
1912年(大正元年)11月25日 - 揖斐川電力株式会社として会社設立。初代社長は立川勇次郎、本社は東京[3]。
1915年(大正4年)12月1日 - 西横山発電所(現存せず)完成に伴い電力供給事業を開業[4]。
1917年(大正6年)1月 - 大垣市神田町に大垣電化工場(後の西大垣工場)開設。同年2月カーバイド製造、8月フェロアロイ製造開始[5]。
1918年(大正7年)12月 - 姉妹会社の揖斐川電化工業と東海電化工業・日本電気製鉄所を合併し揖斐川電化株式会社に商号変更[5]。
1921年(大正10年)
2月 - 揖斐川電気株式会社に商号変更[6]。
6月 - 東横山発電所運転開始[7]。
1922年(大正11年)
6月 - 養老線を運営する養老鉄道(1911年設立)を合併[6]。
8月 - カーボン工場(後の木戸工場)開設[6]。
1925年(大正14年)5月 - 広瀬発電所運転開始[7]。
1926年(大正15年)10月 - 大手電力会社東邦電力の傘下に入る[8]。
1928年(昭和3年)4月 - 鉄道事業(養老線)を伊勢電気鉄道(近畿日本鉄道の前身)へと移管する目的で新会社・養老電気鉄道へと譲渡[9]。
1935年(昭和10年)12月 - 川上発電所運転開始[10]。
1939年(昭和14年)
8月 - 電気興業所(旧・東邦電力系)の事業を買収。同社大垣工場を引継ぎ河間工場(現・河間事業場)開設[11]。
12月26日 - 揖斐川電気工業株式会社へ商号変更[12]。
1940年(昭和15年)3月 - 西平発電所運転開始[10]。
1942年(昭和17年)
4月1日 - 日本発送電へ西平発電所を、中部配電(中部電力の前身)へ西横山発電所と電気供給事業設備を出資し、供給事業から撤退。東横山・広瀬・川上の3発電所は自家用発電所として残る[13]。
6月 - 大日本紡績(現・ユニチカ)の傘下に入る[13]。
1943年(昭和18年)5月 - 大日本紡績より大垣南工場の現物出資を受けて青柳工場(現・青柳事業場)を開設[13]。
1944年(昭和19年)12月 - 本社を東京から岐阜県大垣市神田町2丁目1番地へ移転[13]。
1946年(昭和21年) - 制限会社令により制限会社の指定を受け、大日本紡績の傘下から離れる。
1947年(昭和22年) - 西大垣工場と木戸工場を合併、大垣工場と改称。
1949年(昭和24年) - 東京証券取引所・大阪証券取引所・名古屋証券取引所に株式上場。