提督たちの反乱
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騒動の中心人物の1人、ルイス・A・ジョンソン第2代国防長官

提督たちの反乱(ていとくたちのはんらん、Revolt of the Admirals)は、1940年代後半に数名のアメリカ海軍高官が政府の計画に対して公に反対を示した事件。
事件の背景空軍が核兵器時代における戦略爆撃任務を担う機体として開発を推進した長距離戦略重爆撃機B-36

「反乱」の原因となった論争は数年間に渡って続いていたが、1949年に最高潮に達し、ジョン・L・サリバン海軍長官の辞任やルイス・デンフェルド海軍作戦部長の解任につながった。

1943年11月にジョージ・C・マーシャル将軍は陸軍省海軍省の戦後の統合を提案した。この提案は後に「統合論争」へとつながり、1947年国家安全保障法が制定される。同法によって国家安全保障会議(National Security Council, NSC)、中央情報局(Central Intelligence Agency, CIA)、アメリカ空軍が創設された。

陸軍航空軍を分離・独立させる形で新設された空軍は、戦略爆撃の重要性、特に核兵器を用いた爆撃というオプションは、将来起こりうる戦争に勝利するために必要であり、敵対国家・勢力に真珠湾攻撃のような奇襲攻撃の決行をも思いとどまらせることができると主張した。そのため、空軍は長距離戦略重爆撃機による編隊創設を要求し、高官たちはB-36 ピースメーカーの開発に端を発する一連のプロジェクトこそが多額の資金投入を受けるべきであると主張した。

この空軍側の主張に対して、海軍高官たちは真っ向から反対した。太平洋戦争における航空母艦による戦場の圧倒的な支配の経験から、彼らは連邦議会に「超大型空母(スーパー・キャリア)」と支援の戦闘群からなる大型艦隊の編制を求め、手始めとして空母ユナイテッド・ステーツの建造に資金を投入するよう要求した。海軍高官たちは戦略爆撃のみで戦争を勝つことはできなかったと主張し、将来の戦争で核兵器を広範囲に使用することは「不道徳」であると主張した。ユナイテッド・ステーツは当初、最大重量10万ポンド・航続距離2,000マイルの航空機を運用することを想定して設計され、この10万ポンドという値は、当時のあらゆる核兵器を搭載・運用することが可能なものであった。ユナイテッド・ステーツ級の当初計画案では、8隻の空母がそれぞれ14機の爆撃機を搭載し、1機当たり8回の飛行が可能となる燃料を搭載できるよう設計されていた。設計通りの能力が付与・発揮されれば、ユナイテッド・ステーツに搭載される爆撃機は、再補給が必要となる前に合計112発の核兵器を投下することが可能な計算だった。また、当時の海軍航空部門のトップであったマーク・ミッチャー中将は、1946年1月8日に「16機から24機の航空機を搭載し、1機当たり4回から6回の飛行を行える」能力を付与することを提言している。いずれにせよ、海軍高官たちはこのユナイテッド・ステーツ級8隻の建造計画に向こう5年間で多額の資金を投入すべきであると主張、空軍高官たちのB-36に関する主張と真っ向から対立した。
ユナイテッド・ステーツの建造キャンセル乾ドックの中のユナイテッド・ステーツの竜骨。ユナイテッド・ステーツおよび姉妹艦のキャンセルが「提督たちの反乱」の主な要因であった。ジョンソンの独断による「ユナイテッド・ステーツ」建造中止決定に抗議して辞任したジョン・L・サリバン海軍長官

初代国防長官にして、前海軍長官ジェームズ・フォレスタルは、海軍側の立場に立ってユナイテッド・ステーツの建造を承認、支援した。しかしながら、空軍側との対立などに悩まされ心労が重なった彼は、1949年3月28日に健康上の問題(精神を病んだと言われる)で辞任し、トルーマン大統領と近く同大統領の国防費削減・抑制策を支持していたルイス・A・ジョンソンが後任となる。

ジョンソン新国防長官は、前任者のフォレスタルとは一転、空軍側の立場に立ってこれを支援したが、彼は軍事問題に関して何も知らないとして制服組に嫌われた。就任から未だ1ヶ月と経たない4月23日、ジョンソンは議会に諮ることなくユナイテッド・ステーツの建造取消しを命じた。このジョンソンの独断に対し、サリバン海軍長官を筆頭に多くの海軍高官が抗議の意を表し辞任した。またその数日後、ジョンソンは今度は海兵隊が有する航空アセット(航空部門の設備・要員)の空軍への移管を発表したが、この計画は議会での騒動の中静かに中断された。海軍の航空母艦は空軍が管理・コントロールできない航空設備であったため空軍からは嫌われており、また空軍の計画担当者たちは「これからの核兵器の時代にあって航空母艦は時代遅れだ」と考えていた。空軍支持派だったジョンソン長官は、空母調達を制限することが彼やトルーマン大統領の考える国防費の削減・抑制策にも合致すると考えたこともあり、海軍の空母調達をできる限り制限しようと試みた。

ジョンソンの独断によるユナイテッド・ステーツ建造中止決定という「劣勢」の中、海軍側ではジョンソンや空軍側の計画を批判する動きが強まっていた。


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