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探偵(たんてい、英語:private detectiveあるいはprivate investigator[注釈 1])とは、隠された事実を調べること、またそれをする人[1]。
職業としてそれを行い、(現在では)警察関係ではない者をそう呼ぶことが一般的である[1]。 探偵とは、依頼者により第三者または関係者、配偶者、親族などを秘密裏に調査する人またはそれを仕事とする人のことである。 探偵業の業務の適正化に関する法律により、探偵業務とは、「人(法人又は個人)からの依頼を受けて、対価を受け取り、面接による聞込み、尾行、張込み、その他これらに類する方法により、特定人の所在又は行動についての情報を収集し、その結果を依頼者に報告するもの」と定義された。 このため一般的に、ミステリやサスペンスなどのフィクション系の長編映画などでしばしば描かれるような「推理」は探偵業務とならない。当然、警察の捜査に介入したり警察から推理の依頼を受けたりすることもできない。 また、ストーカー行為の幇助は刑法第62条1項の従犯(幇助犯)、「不安もしくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとった者」は軽犯罪法1条28号違反となる[2]。 民間の捜査(=私立探偵)という意味では、19世紀中期、犯罪者の身から警察の手先(密偵)となり、手柄を挙げて国家警察パリ地区犯罪捜査局[注釈 2] を興し、のちに個人で探偵局を設立し活動したフランソワ・ヴィドック(1775-1857)が「世界最初の探偵」とされる[注釈 3]。なお、ヴィドック自身がしたたかな犯罪者の性質を持っており、裏世界との気脈からその世界の事情にも精通していた面も大きかった[1]。 探偵を正業として確立したのは米国のアラン・ピンカートン(1819-1894)とされる[1]。ピンカートンはもとは米国の諜報機関の長であったが、退職後1850年に私立探偵局を設立し、手堅く迅速な仕事ぶりで高い評判を得た[1]。ピンカートンの探偵局が事務所のマークとして「We Never Sleep」(我らは眠らない)という語句付きの「眉つきの眼」を用いたので、探偵が「the private eye」とも呼ばれるようになった[1]。このピンカートンが設立した探偵局ピンカートン探偵社は、20世紀における警察の近代化で仕事を食われ、探偵の看板を下ろすまで北米最大の探偵会社であった[3]。 日本国内では1891年(明治24年)5月21日付けの当時の朝日新聞に帝國探明會という企業が「詐欺師や盗人の所在を調べる。他人の行動調査を実施する。」との旨の広告を出稿していたという[4]。 なお、日本語の「探偵」は、古くは警察・民間を問わず捜査活動を行う人間を指した語で、江戸時代には同心や岡っ引が「探偵方」とも呼ばれており、明治になってからも巡査や刑事が「探偵」と呼ばれていた。明治20年代(1887年 - 1896年)に私立探偵が登場して以後、次第に警察官は「探偵」と呼ばれなくなったが、軍のスパイは「軍事探偵」や「国際探偵」と呼ばれていた[5]。第二次世界大戦後には「探偵」はもっぱら私立探偵を指して用いられる語となった[6]。 令和4年12月末日現在で、探偵業の届出総数は6970件(内訳:個人5099件、法人1871件)である[7]。 日本国内の探偵は小さな探偵社(個人経営)が殆どで、複数の支店や支社があるように明示されていても、実際はレンタルオフィスや無人事務所など、実態のないバーチャルオフィスで営業を行っていることもある。 実際の調査は、地元の小さな探偵社や個人(探偵業無届者)を1時間千円程度の下請けとして雇用し調査を行っている場合も、ままある。 アメリカ合衆国の探偵業界の市場規模は、おおむね60億ドル規模で、事業所数は26,000ほど[8]である。
概要
歴史
国内の探偵の実情
各国の探偵
アメリカ合衆国
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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