掃海艇
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英海軍サンダウン級機雷掃討艇

掃海艇(そうかいてい 英語: Minesweeper)は、機雷掃海を任務とする軍艦。任務が重複する機雷掃討艇、同任務でより大型の掃海艦についても本項で扱う。
概要

敷設された機雷は、艦船の航行に対する重大な脅威であり、安全な航行のためには掃海作業により機雷を除去することが求められる。現代の掃海艇は、感応機雷に対するため、艇体が非磁性化され、無人遠隔作業機等の特殊な装備を有する。将来的には、無人艇(UUV)の活用も検討されている。
来歴
近代機雷戦の端緒と係維機雷への対処(日露戦争 - 第1次大戦)第1次大戦中の独海軍掃海艇

機雷戦・対機雷戦が初めて世界的な注目を集めたのは日露戦争の時であった。旅順口攻撃旅順港閉塞作戦において、大日本帝国海軍ロシア海軍双方が係維式の触発機雷を敷設したことから、これを警戒する必要が生じ、実質的に初めて、掃海が行われることになった。この際には、2隻の艦艇でワイヤ(掃海索)を曳航して機雷の係維索を引っ掛けることで、機雷を危険のない海域に移動させたり、あるいは掃海索に取り付けたカッターで係維索を切断して缶体を浮上させることで、機雷を無力化していたが、掃海索の曳航は駆逐艦などでも行うことができたことから、専用の掃海艇を必要とはしなかった[1]

第一次世界大戦の開戦前までは、各国とも日本海軍と同様に必要に応じて掃海具を適当な艦船に搭載する方式か、一線で使えなくなった艦艇を掃海艇に改装して機雷戦に備えていた。第一次世界大戦では、連合国軍、同盟国軍双方が大規模な機雷敷設作戦を実行したため、各国で多くの掃海艇が新造されたほか、様々な民間船が掃海艇として徴用された。この頃の掃海艇は大きく分けて、高い航洋性を持った外洋型と、小型の沿岸型に分けられる。なお外洋型の一部は武装と機関の能力を強化し、前線での行動を可能とした艦隊随伴型であった。また、外洋型はその航洋性と適度な武装が買われ、連合国軍においてたびたび護衛任務に使用された。
感応機雷の出現と機雷掃討の試み(第2次大戦 - 朝鮮戦争)米海軍アルバトロス級。第2次大戦後期の代表的掃海艇

第二次世界大戦の開戦当初においても、機雷とはすなわち触発式の係維機雷であり、これに対する掃海艇は、特に外洋型においては、艦隊の前路掃海を主任務として比較的高速・重装備の鋼製の艇が主流であった。しかし大戦後期に、沈底式感応機雷が出現したことで、対機雷戦はいっそう複雑かつ熾烈になった。感応機雷としては、まず船の磁気を感知する磁気機雷、次にスクリューの音響を感知する音響機雷、そして最後には水圧を感知する機雷も敷設された。このことから、特に磁気機雷に対する触雷を避けるため、以後、掃海艇の建材は非磁性化が求められるようになった[1]

これらの沈底式感応機雷は、大戦後にも改良が続けられ、朝鮮戦争において実戦投入されたことで、その脅威を関係各国に認識させることとなった[1]。特に感応機雷発火装置の高知能化・目標追尾機雷の出現は、従来の曳航式後方掃海における触雷のリスク・掃海の不確実さを増大させることになり、爆発物処理の手法により機雷を一個一個確実に無力化していくという、機雷掃討に注目が集まった[2]。この必要に応じて、既存の掃海艇への機雷探知機(高周波アクティブ・ソナー)の装備が進むとともに、後には機雷処分を担当する遠隔操作無人探査機である機雷処分具の装備化も進められた[3][4]
FRP艇の出現と深深度/短係止上昇式機雷への対処伊海軍レリチ級。現代の代表的機雷掃討艇。

上記の通り、磁気機雷の出現以後、掃海艇はいずれも木造を基本としてきた。しかしその後、木材の高騰と木船建造技術者の減少を受け、掃海艇の繊維強化プラスチック (FRP) 化が模索されるようになり、1972年には世界初のFRP掃海艇としてイギリス海軍の「ウィルトン(英語版)」が進水した。欧州各国においては、1950年代に木造掃海艇を大量建造して以降、これらが老朽化して更新を必要とするまで15 - 20年の空白があったため、次世代掃海艇の建造態勢を事実上一から構築する必要があり、したがって木造艇に拘泥する必要が薄かったこともあり、1975年前後から就役を開始した戦後第2世代の掃海艇はFRP艇が多く採用されるようになった[2]


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