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挙国一致内閣(きょこくいっちないかく)とは、大規模な戦争や恐慌といった国家の危機や政党内閣の危機に際して、対立する政党をも包含して作られた内閣をいう。協力内閣(きょうりょくないかく)や、大連立内閣(だいれんりつないかく)とも呼ばれる。 各国の例を挙げると、日本では海軍出身者を内閣総理大臣として擁立した1932年の斎藤実内閣や1934年の岡田啓介内閣が有名である。この両内閣は政党内閣ではないが、純粋な超然内閣でもないとして「中間内閣」とも呼ばれた。また、1940年10月12日から1945年6月13日まで存在した大政翼賛会に支えられた内閣も挙国一致内閣に分類される。 イギリスでは第一次世界大戦中に成立した第2次アスキス内閣[1]やロイド・ジョージ内閣、世界恐慌対策として1931年のマクドナルド内閣[2]が有名である。他、チャーチルも第二次世界大戦の間、保守党・労働党・自由党というほぼ全政党による挙国一致内閣を組織した[3]。 ドイツ帝国においては、第一次世界大戦中に党派争いが停止されて全党派が政府の戦争遂行を支持する「城内平和」と呼ばれる挙国一致体制が構築された[4]。同時期フランス第三共和政においても「神聖なる団結」(ユニオン・サクレ)という名前で同様の挙国一致体制が築かれた[4]。第一次世界大戦後のドイツは選挙制度が比例代表制だったため、そもそも連立が前提となっていたが、とりわけ1923年にはハイパー・インフレの危機からドイツ国家人民党とドイツ共産党の左右両極を除いた全党派が参加・支持する挙国一致的なシュトレーゼマン内閣が成立した[5]。
概要