按察使局(あぜちのつぼね、生年不詳 ‐ 寛文9年9月8日(1669年10月2日))は、江戸時代前期の女性。大奥の大上臈。本名は一条信子だったともいうが確証はない。
生涯に嫁ぎ、兼政との間に高嶋左近
慶長8年(1603年)、江戸幕府2代将軍・徳川秀忠の妻である崇源院が、娘の千姫の婚礼に随伴し上洛した際に仕えた。崇源院の死後は3代将軍・徳川家光に仕えた。寛永19年(1642年)、今までの功を称され、上総国埴生郡500石を賜る。慶安4年(1651年)、家光の死後は徳川家綱に仕えたが、しばらくして隠居した。
寛文9年(1669年)に江戸で死去。戒名は光園院一誉清覚大姉。遺領は高嶋長親、高嶋兼明を養子として兼明に相続させた。
両親は永禄7年(1564年)に離縁している。生年は未詳だが、『寛政重修諸家譜按察使局』に記されている享年105を基に逆算すると1564年となり、誕生後間もなくして両親が離縁したことになる。
出典
卜部典子『人物事典 江戸城大奥の女たち』(新人物往来社)
更新日時:2022年8月3日(水)00:10
取得日時:2022/11/28 15:40