指扇領別所
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 埼玉県 > さいたま市 > 西区 (さいたま市) > 指扇領別所

■指扇領別所
大字
福正寺
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}■指扇領別所指扇領別所の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度55分18.77秒 東経139度33分53.31秒 / 北緯35.9218806度 東経139.5648083度 / 35.9218806; 139.5648083
日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
西区
地域大宮地区
人口(2017年(平成29年)9月1日現在)[1]
 ? 合計2,728人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号331-0073[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート大宮

指扇領別所(さしおうぎりょうべっしょ)は、埼玉県さいたま市西区大字郵便番号は331-0073[2]
地理

埼玉県東部、さいたま市西区北部の大宮台地上に位置する。町域の周囲を荒川滝沼川周辺の沖積平野やそこから伸びる開析谷が取り巻いている[4]川越市と西区との市境付近に入会地の名残の飛び地が二ヶ所存在する。地区の南側(字滝沼)は市街化区域、それ以外は市街化調整区域[5]であるが、指扇駅からも近く、市街化調整区域であっても農地は少なく、地区の西側では国道16号西大宮バイパス付近は低地が埋め立てられ戸建住宅が整然と並ぶ[4]。市街化区域内には住宅地が広がるが、「指扇53号生産緑地地区」[5]と称される生産緑地地区も存在する。
地価

住宅地の地価は2019年平成31年)1月1日公示地価によれば大字指扇領別所字滝沼304-2の地点で13万2000円/m2となっている[6]
歴史

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡指扇領に属する別所村であった。江戸初期に指扇村より分村された[7][8]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では72(田50石余、畑22石余)、『元禄郷帳』や『天保郷帳』によると79石余であった。助郷中山道上尾宿に出役していた。化政期の戸数は16軒で、村の規模は東西2余、南北1町半であった[7][8]。荒川に下谷原入会地を領していた。また、宝来村入間郡古谷上村(現川越市古谷上)に飛地があった[7]

1590年天正18年)の知行旗本三宅氏、1596年慶長元年)より幕府領となる[7]。なお、検地1694年元禄7年)に、下谷原入会地の検地は1744年延享元年)にそれぞれ実施[7]

1623年元和9年)より知行は旗本山内氏、1689年(元禄2年)より幕府領となり[7]幕末に至る。

1828年文政11年)より上尾宿寄場64か村組合に所属していた[7]

幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、幕府領(代官・大竹左馬太郎支配所)[9]

1868年慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。

1869年明治2年)

1月13日 - 武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置、同県の管轄となる。県庁は東京府馬喰町に置かれる。

9月29日 - 県庁が浦和に置かれ浦和県に改称。


1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。

1879年(明治12年)3月17日 - 郡区町村編制法により成立した北足立郡に属す。郡役所は浦和宿に設置。それに伴い、郡内に同名の村が所在(現別所および別所町)したことから指扇領を冠称し、指扇領別所村[7]となった。

1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、指扇村・宝来村・峰岸村・内野本郷村・西新井村・中釘村・清河寺村・高木村・指扇領辻村・指扇領別所村が合併して指扇村が成立[10]。指扇村の大字指扇領別所となる[7]

1955年昭和30年)1月1日 - 馬宮村植水村片柳村春岡村七里村とともに大宮市へ編入される[11]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef