拓跋 孤(たくばつ こ、生没年不詳)は、中国の代の王族。父は拓跋鬱律。兄に拓跋翳槐・拓跋什翼?・拓跋屈
がいる。北魏の道武帝により、高涼王に追封され、諡は神武といった。拓跋鬱律の四男として生まれた。多才多芸であり、謀略に長け、高い志を持っていた
329年、長兄の拓跋翳槐が代王に即位すると、次兄の拓跋什翼?が後趙の人質として襄国に赴いた。
338年、拓跋翳槐が死去した。死の間際、拓跋什翼?を後継に立てるよう遺言したが、彼は遠く離れた地にいる為、 大人の梁蓋らは別の君主を建てようとした。三兄の拓跋屈は剛猛であったが偽りが多い人物だった為、諸大人は彼を殺し、仁義に厚い人柄だった拓跋孤を後継に立てた。しかし、拓跋孤はより年長のものが立つべきであるとして、自ら?を訪れ、後趙の石虎へ「兄は国へ帰り主君とならねばなりません。代わって私が人質となりますので、どうか兄を帰国させて下さいますよう」と、申し出た。石虎は拓跋孤の気概に感心し、2人とも返還させてやった。
拓跋什翼?が即位すると、国の半分を拓跋孤に与えて統治させた。後に死去した。
子に拓跋斤
があったが、伯父の拓跋什翼?によって要職を剥奪された恨みで、従兄の拓跋寔君の乱に加担し、伯父らを殺害した。しかし、これを聞いて激怒した前秦の天王苻堅の軍勢に捕らわれて、長安で拓跋寔君とともに車裂きの刑に処され、無残な最期を遂げた。 拓跋部 (1)拓跋毛
(13)拓跋鄰
(14)拓跋詰汾
禿髪匹孤 (15)拓跋力微
(南涼) (16)拓跋沙漠汗
(17)拓跋悉鹿 (18)拓跋綽 (東部)拓跋禄官
(中部)拓跋猗? (19)拓跋弗
代 (1)拓跋猗盧
(2)拓跋普根 (5)拓跋賀? (6,8)拓跋?那 拓跋六脩 (4)拓跋鬱律
3拓跋? (7,9)拓跋翳槐 (10)拓跋什翼? 拓跋孤
拓跋寔君 (追)拓跋寔 拓跋窟咄 拓跋斤
北魏 (1)道武帝
拓跋珪
(2)明元帝
拓跋嗣 清河王
拓跋紹 陽平王
拓跋煕
(3)太武帝
拓跋Z 淮南靖王
拓跋他