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拒絶反応(きょぜつはんのう、拒否反応とも)とは、移植を行った後に起こる一連の生体反応である。
臓器移植が始まって以来最も問題となっていた部位であり、この反応を抑えるため事前に抗体免疫療法を行い、免疫をコントロールする案が移植の初期のころから考えられていた[1]。
ES細胞、iPS細胞といった再生医療の発達によって将来、これらのマネジメントは大きく変わる可能性がある。 最初期の移植は血管吻合の技術が未熟だったため、そもそも手術そのものが成功したのかあいまいであったが、1923年にWilliamsonが「腎臓の自家移植と同種移植で全く異なった結果が起き、同種移植では腎臓は平均して術後4日間ほどしか良好な機能を営まなかった」と報告し、その後他の臓器でも一度は機能を再開した移植臓器がまもなく機能を喪失することが分かった。また、この拒絶反応の原因については、1942年から1953年にかけて皮膚移植実験などから拒絶反応は一種の免疫反応であると明らかになり[2]、この免疫反応をどうするかについて様々な研究を重ねられ、1968年までに以下のような方法が考えられ[3]、それを使用する問題点も次第に明らかになった。 いずれの方法による免疫抑制も確実ではなかった[1]が、イムラン使用はそれでも移植研究を進めるうえで重要な役割を果たし、移植に免疫抑制剤を使用する方法が以後主流となっていった。
拒絶反応に対する対策
免疫抑制剤の使用
6-MP(6-mercaptopurine)、もしくはイムラン(Imuran)の投与
元々はSchwartzとDameshekが本来は白血病の治療薬である6-mercaptopurine(6-MP)に免疫抑制作用があることを発見したのがきっかけで、その後1962年にCalen、Murray等が犬の腎移植実験これの変異体であるアザチオプリン(Azathioprine、商品名イムラン)を使用することで、元になった6-MPより効果が大きく且つ副作用が少ないと発表、その後イムランは移植研究を進める契機となり、免疫抑制剤として広く使用された。問題点として特に肝臓に害をなす副作用があるため、肝移植の場合これが長期生存を妨げる原因の一つとなった[4]。
アクチノマイシンCもしくは同Dの投与
副腎皮質ホルモン投与
1955年にHume等が副腎皮質ステロイドのコルチゾン、ACTH(副腎皮質刺激ホルモン)などを投与して抑制を図ろうとした。この時はほとんどその効果を認められなかったが、1963年にGoodwinがプレドニゾロンを大量投与で拒絶反応を軽減できると明らかにした[2]。
異種抗リンパ球血清
エックス線照射
1959年にFerrebee等が「全身のX線照射で免疫反応が抑えられる」と報告し、臨床的にも応用されたが、免疫反応抑制には大量の照射が必要でレシピエントに対する障害の危険が大きいと広く実用化はされず[2]。
循環血放射線照射
抗原物質少量注入
リンパ節、脾臓、胸腺摘出。胸管瘻
脾臓を摘出すると急性拒絶反応が有意義に低くなる[5]ので、免疫抑制剤が発達してからも移植ではABO血液型不適合の移植の際にあらかじめ脾臓摘出を行うことが行われた。これはT細胞に依存しない抗体(主ににIgM)の産出場所が主に脾臓によるためで、抗体を生産するB細胞除去効果のあるリツキシマブを投与した場合は脾臓摘出を行わない場合もある[6][7]。