拒否権
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拒否権(きょひけん、英語: veto)とは、ある事柄について拒み断る権利のことである。この意味での用例としては供述拒否権がある。政治の世界で拒否権と言う場合にはさらに意味が限定され、政策決定の際に決議された法律・提案された決議・締結された条約その他を一方的に拒否できる特権を意味することが多い。

下記の国際連合安全保障理事会の拒否権の例のように、権利が行使されると案件が停止するため、案件がその所持者の意に直接対立しないように作成されたり、対立を回避するために曖昧にされることがあり、拒否権はそれを行使しなくても影響力を発揮するものを言う。
言葉

英語のvetoは、共和政ローマ時代に護民官が保持していた権限 (ラテン語: veto) に由来する。

また、後述の国際連合安全保障理事会や拒否権付き株式などのように、条文上は「拒否権」の語が現れないことも多い。極端な例として、全会一致が必須要件である場合には、「全員が拒否権を持つ」と言っても間違いでは無い(#近世ポーランドの自由拒否権も全会一致に伴う拒否権である)。
国際連合安全保障理事会における拒否権詳細は「国際連合安全保障理事会における拒否権」を参照

国際連合安全保障理事会(安保理)では、実質事項について決議が有効となるには、理事国15か国のうち常任理事国5か国全てを含む9理事国の賛成を要する[1]。ただし、第6章(紛争の平和的解決)及び第52条3(地域的取極又は地域的機関による地方的紛争の平和的解決)に基く決定については、紛争当事国は投票を棄権しなければならない。大国の反対により理事会の決定の実効性が失われるのを防ぐ事を趣旨とするもの(大国一致の原則)であるが、逆に常任理事国のうち1か国でも当該決議案に反対すれば、他の全ての理事国が賛成しても否決される。これが安保理での拒否権である。国際連合発足以来一貫して安保理常任理事国(アメリカ合衆国・中華人民共和国[注 1]・イギリス・フランス・ロシア連邦[注 2])のみに与えられている。
古代ローマの拒否権

古代ローマの政務官は護民官に限定されず全ての政務官が拒否権を保有していた。基本的に複数人制の各政務官は同僚の決定に対して拒否権を行使することができ、上位の政務官は下位の政務官の決定に対する拒否権を有していた。このため最も下位の官職であるクァエストルは同僚への拒否権のみを有し、他の政務官への拒否権は持たなかった。逆に同僚を持たない独裁官は下位の全ての政務官に拒否権を行使でき、かつ護民官を含めたあらゆる政務官の拒否権が通用しない強力な官職であり、それ故に任期が半年と制限されていた。

護民官はその設立経緯からも特殊な官職であり、独裁官を除く全ての政務官や元老院の決定に拒否権を行使することが可能であった。それだけではなく護民官の主要任務はこうした拒否権を使用した「否定」の作用であり、それゆえ拒否権は護民官の名と共に語られることが多い

ローマ帝国が成立すると、拒否権は皇帝の特権となった。
近世ポーランドの自由拒否権詳細は「自由拒否権」を参照

近世ポーランドのシュラフタ(士族)によって開かれる議会セイム」では、厳格な全会一致制を採っており、全議員にリベルム・ヴェト(liberum veto[2]、自由拒否権)という拒否権の発動が認められていた。たった一人の反対であっても議案を葬ることが出来るこの制度は、セイムでの決議において法案をことごとく廃案にしてきた「無制限の拒否権」といったニュアンスで語られることが多く、共和国が機能不全に陥りポーランド分割へと至る大きな要因となった。17世紀後半には、リベルム・ヴェトは地方議会であるセイミクにも適用された。
近代フランスの拒否権

フランスで制定されていた1791年憲法によって執行権を持つ国王は、立法議会立法権に対して拒否権を持っていた。この憲法では「フランス人の王」たる国王と、「主権の代表者」である議会の両方が国民・国家の代表であり、国王は議会を解散する権限を持たず、大臣には議員資格を持つ者の就任が禁止されていたため、拒否権は執行府にとっては唯一の立法府への関与の方法だった。立憲君主制内閣制度を持つという違いはあるが、これらは先に成立していたアメリカ合衆国の法律によく似ていた。しかし、この憲法での拒否権は法案の停止を意味するだけで廃案にはできず、拒否された法案を議会で再提出はできないが、国王が同意を拒否した場合でも新しい議会が二度目の可決すれば法案は国王の裁可を受けたことになり、再び議会で三度目の可決をして提出すれば、国王の署名がなくても法案は法律として効力を持つという制度だった[3]。議会の立法権の優越が一応は憲法に示されてはいるが、国王の抵抗に遭った場合には、法案の成立は非常に困難で、政治の停滞を生み出した。フランス革命革命戦争の最中では、このような慎重な手順を踏むことは不可能で、それが第二の革命につながった。
アメリカ合衆国大統領及び州知事の拒否権「アメリカ合衆国における拒否権(英語版)」を参照

アメリカ合衆国憲法第1条第7節では以下のことを定めている。
議会が制定した法案は国家元首である大統領に送付される。

大統領がこの法案を承認する場合は、法案への署名をもってこれが法律となる。署名をしなくても議会の会期中に日曜を除いて10日以上経過した際は法律となる。

大統領がこの法案を承認しない場合は法案に署名せず、承認出来ない理由を明記した別書を添えて、日曜を除いた10日以内に議会に差し戻す。

その場合議会は大統領が承認出来ない理由を十分に考慮した上で、必要に応じて法案に修正を加えた上で大統領に再送付するか、両院で3分の2以上の多数で再可決して大統領の署名無しで法律にする。

ただし、これらが会期内に出来ない時は廃案となる。

このうち3.が大統領の「拒否権(veto)」で、4.(の後半部分)が議会の「拒否権を覆す権利(override=上書き)」である。また5.の規定を利用して会期末日曜を除く10日以内に議会から送付された法案を大統領が手元に留め置いて廃案にすることを「握り潰し拒否権(ポケット・ビートー[4])」という。議会の両院それぞれで3分の2以上の賛成を得ることは至難の業であり、拒否権が行使された法案の中で4.後半の規定により法律になった割合は10パーセントを下回っている[5]

拒否権を最も多用した大統領は第32代のフランクリン・ルーズベルトで、12年間の在任中に635回も行使している。逆に第3代のトーマス・ジェファーソンは8年間の在任中に一度も行使していない(ジェファーソンを含み7人いる)。第43代のジョージ・W・ブッシュは例えば以下のような法案に対し拒否権を行使した。
2006年7月 ES細胞法案

2007年5月1日 イラク派遣部隊の撤退期限を持つ予算法案

2008年3月8日 テロ被疑者に対するウォーターボーディング水責め)などの拷問を禁止する法案

また、アメリカでは州知事にも項目別拒否権(英語版)という拒否権があり、州議会が提出した法案の一部を拒否出来る。この項目別拒否権は1996年のラインアイテム拒否権法(英語版)[6]によって大統領も行使出来るようになり、連邦議会の無駄なポークバレル的な追加条項を削除出来るようになり、クリントン大統領は、82項目についてこの権限を行使した[7]。しかし、この法律は1998年6月25日の連邦最高裁判所のクリントン対ニューヨーク市事件(英語版)の判決により違憲と判断された。「アメリカ合衆国の政治」および「アメリカ合衆国大統領」も参照
日本の政治
国政

日本の国政においては拒否権は存在しない。日本国憲法議院内閣制を採用しており、通常は衆議院において与党が過半数を占めている。政府の反対する法案を衆議院において野党が発議しても、それが可決されることは殆どなく廃案に終わるため、敢えて内閣に拒否権を与える必要性は乏しい。

参議院で野党が過半数を占めている場合(ねじれ国会)には、内閣の反対する野党発議法案が参議院で可決することがある。しかし、そのような法案は衆議院に送付後、与党の反対多数により否決され両院協議会でも意見が一致しないか、決議もされず審議未了により廃案となるため、この理由からも内閣の拒否権を認める必要性は乏しい。

また、天皇については日本国憲法第4条で国政に関する権能を有しないとされており、他の王制国において君主が保持する[注 3]拒否権は認められないとされている。

大日本帝国憲法においては、第6条において天皇大権の一つとしての法律裁可権が定められており、場合によっては天皇が帝国議会が採決した法律を拒否することができた。


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