押見修造
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おしみ しゅうぞう押見 修造
生誕 (1981-03-19)
1981年3月19日(42歳)[1]
日本群馬県桐生市
職業漫画家
活動期間2002年 -
ジャンル少年漫画青年漫画
代表作『漂流ネットカフェ
惡の華[2]
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押見 修造(おしみ しゅうぞう、1981年3月19日[3] - )は、日本漫画家[4]。作品は、たびたび映像化されている。
来歴

群馬県桐生市出身[5]桐生市立南小学校桐生市立南中学校群馬県立桐生高等学校卒業[6]早稲田大学第一文学部中退[6]

大学在学中の2002年に『夢の花園』でちばてつや賞ヤング部門優秀新人賞受賞[1][7]。同年、コミック焦燥(太田出版)に掲載された「真夜中のパラノイアスター」でデビュー。2003年、別冊ヤングマガジンで『アバンギャルド夢子』の連載を開始[1]

漂流ネットカフェ』はテレビドラマ化され、『惡の華』はテレビアニメ化された。また2014年には『スイートプールサイド』、2018年には『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』が映画化されている[8]

2020年4月現在、『ビッグコミックスペリオール』にて『血の轍』、『別冊少年マガジン』にて『おかえりアリス』を連載中。
来歴
生い立ち

群馬県桐生市で生まれ育ち、幼稚園では隅で絵を描いているような内気な子供だったという。その頃はキャラクターの顔が非常に独特であり、両目の黒目を重ねることで、一つ目のように描いていたという。だが、当時愛読していたガモウひろしの絵を見て、目は2つにしたほうが良いと思ったという[9]

その後、小学校ではギャグ漫画を描いていたが、小学3年生の時にロッテリアで、女性が階段を登っている所でパンツを目撃し、性の目覚めが訪れる。その衝撃の凄まじさからか、それが今の作風に影響されているという[9]

中学1年生の時、父親にルドンの絵や萩原朔太郎の詩などを教えられ、『ドグラ・マグラ』や『ガロ』を愛読[10]。音楽・本・詩などに没頭して、漫画を描かなくなったという。中学時代は、小学生の頃から片思いしている女の子がソフトボール部にいたことから、隣のテニス部に所属して監視していたという。その子とはお付き合いするようになったが、色々あって付き合いは失敗したという。自分は恋愛ができない人間だという劣等感を持つようになる[9]

中学2年生の頃より吃音を患っており、この事から後に、吃音を題材とした作品『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』や、吃音を持つ主人公の『血の轍』などを発表している[11]。押見は、前者の単行本あとがきに、吃音が故に普段より人の表情や仕草から感情を読み取る能力が発達し、これが漫画の登場人物の表情を描く時に生かせているのかも知れないといい、また、吃音のせいで言いたいことが言えなかったという心に封じ込められていた物事を、漫画という形で爆発させることができた、自身が吃音でなければ漫画家にはなれなかったかも知れない、なる旨を記している[11]
漫画家として

大学に入学して、山本直樹の『フラグメンツ』を見て、再び漫画を描き始める[12]。その後、自伝漫画[13][14]によれば、20歳くらいの頃に講談社週刊ヤングマガジン編集部に持ち込み、2人の編集者に「ひどいが、おもしろい」といった評価を受ける。その作品は同誌の月間賞奨励賞を受賞し、賞金5万円を得た。

その後、同誌で「ちんこ」を見たがる女子高生の漫画『アバンギャルド夢子』や、サキュバスが風俗経営をして精を搾り取ったあげく世界滅亡する漫画『デビルエクスタシー』などを連載する。押見はこのような漫画をよく載せてもらえたものだと述懐している。

2008年9月より、「漂流ネットカフェ」を連載開始し、後にテレビドラマ化される。2009年から連載開始された「惡の華」は、テレビアニメ化・実写映画化などヒット作となり、この頃より押見の名と作品が広く知られるようになる。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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